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    A.江戸時代の参勤交代と宿場町

    A-1.松江藩の2泊目の新庄宿

    毎年のように行われていた参勤交代で、各藩の大名は江戸と藩とを往復していました。出雲街道(松江~姫路)にある新庄宿が利用されたのは主に出雲の松江藩の大名松平侯の参勤交代です。今の私たちからするとよくもこれほど歩いていけるものだと思うほどの距離(約40〜50km)になります。松江藩の参勤交代の宿場経路と日数は次のようになります。新庄宿は松江を出発されて2日目に到着です。

    松江発→1.溝口→2.新庄→3.津山→4.作用→5.姫路→6.大蔵谷→7.西宮→8.伏見→9.山崎→10.大津→11.水口→12.四日市→13.宮→14.御油→15.浜松→16.島田→17.興津→18.沼津→19.小田原→20.藤沢→21.川崎→22.江戸。
    川止めなどなければ22日目に江戸に着いています。

    「松江藩の参勤交代」(松江・江戸の出発年月日一覧、藩主ごとの参勤交代回数及び滞在日数、現代のカレンダーでも表示)
    「松江藩の参勤交代と新庄宿の出発・到着月をグラフで見る」

    A-2.松江藩の七里飛脚の一つが新庄宿

    出雲松平藩の専用の飛脚が江戸と松江を結んでいました。

    1.七里ごとに中継所を置いていました。

    2.出雲街道の美作地内(言い換えれば、岡山県内)では、「新庄」と「久世」と「勝間田」の3か所に置かれていました。

    A-3.新庄宿に松江藩の本陣と脇本陣

    出雲街道の新庄宿(岡山県真庭郡新庄村,江戸時代元禄年間17世紀には「新庄村」として今日まで続いています。)に出雲松江藩の譜代大名松平侯の本陣がある。その斜め向かいにこの脇本陣があります。木代家の家であることから脇本陣木代邸(きしろてい)という。「木代」と書いて「きしろ」と読みます。「名字由来net」によると、全国に「木代」姓は690人ほどで岡山県に30人という数字が出ています。全国順位で10,346位というから多くないようです。さてここでは木代邸の建物の外観と内部の様子を紹介します。

    A-4.脇本陣〜全国6か所の1つが木代邸

    脇本陣(わきほんじん)とは、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的な施設です。本陣だけでは泊まれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用されました。それ以外の時には一般の旅行客の宿泊にも使われたようです。規模は本陣よりも小さくなりますが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めていました。

    ウィキペディア「脇本陣」によると現存し公開されている脇本陣は全国で次の6か所

  • 出雲街道旧新庄宿脇本陣(岡山県新庄村
  • 脇本陣奥谷(長野県木曽郡南木曽町、重要文化財。妻籠宿本陣が平成に復元されている)
  • 東海道旧舞坂宿脇本陣(静岡県浜松市)
  • 中山道旧太田宿脇本陣(旧太田脇本陣林家住宅)(岐阜県美濃加茂市)
  • 山陽道旧矢掛宿脇本陣(岡山県矢掛町
  • 羽州街道楢下宿(山形県上山市)滝沢屋、庄内屋
  • です。(注・・・リンクサイトは公式、非公式とあり、写真など様子がよくわかる所を選んでみました)新庄の脇本陣木代邸はこの現存する公開されている6か所のうちの1つということになります。

    その他、現存する建物として長野県佐久市の脇本陣真山家屋敷や大門宿脇本陣表門(埼玉県さいたま市緑区、市指定有形文化財)があり、復元されたものとして中山道鵜沼宿脇本陣(岐阜県各務原市、2010年復元)、馬籠脇本陣(岐阜県中津川市馬籠、一部復元し馬籠脇本陣史料館として公開している)、舞坂宿脇本陣(静岡県浜松市)があるということです。

    「雲州港本陣」(説明版)

    本陣の佐藤家の前にある説明版です。

    「出雲街道 新庄宿」(説明版)

    脇本陣の木代邸の前にある説明版です。

    B.脇本陣の木代邸

    B-1.木代邸外観

    ▼木代邸入口
    木代邸入口

    脇本陣の木代は分家である。本家木代は出雲の尼子に仕え、尼子の出城である新庄沢城主吉田修理の家臣であった。尼子が滅ぶとともに、武士を捨てここに農民として寛文年間に宿場町並みに居を構えたのである。本家木代はやがて庄屋となり、途中途切れることはあったが、115年間もの長い間、庄屋を務めている。

    この本家の娘に松江より婿を取り、幕末に近い安政4年(1857年)に分家ができたのである。分家木代も庄屋を務め、明治になると1871年5月23日(明治4年4月5日)に戸籍法の制定や1872年5月15日(明治5年4月9日)に太政官布告によって副戸長、戸長となり、県会議員にも選出されている。また初代は山田方谷(やまだほうこく)について陽明学を学んでいた。


    B-2.外観

    木代邸は、切妻平入り中二階の建物である。村にとっては江戸時代末期の代表的な建築物なので、文化財指定をし、復元修理ができたのである。間口は八間、奥行き七間(生活部分のみで)の堂々とした建物である。

    B-3.屋根

    屋根は石州瓦の桟瓦葺(さんがわらぶき)(江戸時代から普及した瓦の葺き方で、屋根の下板に横桟を打っておき、そこに瓦の端の¬型をひっかける工法。それまでの本瓦葺に比べ隣同士の瓦の重なり部分をも極めて少なくすることができ、また葺き土も軽減化できて屋根の軽量化と経費節減となる)で赤茶色の独特の色合いである。瓦の上には、雪ずり止めの丸太を取り付けていた。現在は雪止め付きの瓦が何列か並べてある。

    B-4.壁〜2階

    ▼大壁造り
    大壁造り

    B-4-1.大壁造り

    2階の壁は白漆喰仕上げで、「大壁造り」となっている。「大壁造り」とは柱などが内からも外からも出ないように壁面内に納める壁構造のことである。倉造り、蔵造り、土蔵造りの様式である。

    B-4-2.腰〜下見板張り

    2階の腰は「下見板張り」で、鎧伏せ(よろいぶせ)の黒っぱい杉板張りである。壁の白さとの対照的である。


    B-5.壁〜1階

    ▼真壁造り
    真壁造り

    B-5-1.真壁造り

    下屋(したや、家屋の下側)は白漆喰仕上げで、「真壁造り」である。「真壁造り」は柱を表面に露出させ柱と柱の間に壁を納める方式で柱が空気に触れるため防腐面ではメリットがあるが、耐久性を上げるための筋交いを入れにくいのが難点となる。一般住家の壁造りとされている。

    B-5-2.腰〜下見板張り

    1階も「下見板張り」で、鎧伏せ(よろいぶせ)の黒っぱい杉板張りである。壁の白さとの対照的である。


    B-7.外から見た玄関

    ▼外から見た玄関
    外から見た玄関

    正面中央部の玄関には、式台が取り付けてある。江戸時代では一般の農家では造ることができなかった。武士なら中流以上、農村では庄屋の家に限られた造りである。

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    B-8.窓

    ▼親子格子(おやこごうし)1間半
    親子格子(おやこごうし)1間半

    2階には4尺(約1.2m)に一間半(約3m)の親子格子(おやこごうし)の出窓が取り付けてある。細身の堅子(たてご、格子や障子などの縦方向の組子(くみご)のこと)に組み合わせた繊細な感じの京風である。格子窓は、民家の明かり取りと通風に、江戸中期以降から、一般に取り入れられたようである。


    ▼親子格子(おやこごうし)1間
    親子格子(おやこごうし)1間

    玄関の間の2階部分にある親子格子

    親子格子は「京町家改修用語集」によると、切子格子(きりこごうし)あるいは子持格子(こもちごうし)などとも呼ばれる格子で、横貫が通常3本ほど通り、縦の格子子に、2種類あり、 太い格子を、親格子子、細い格子を子格子子とみたてて、 これを 親子格子という。切子の数で職業がわかるようになっており、

  • 親1本・子4本(切子4本)が、織屋格子
  • 親1本 子3本(切子3本)が、糸屋格子(紐屋格子)
  • 親1本 子2本(切子2本)が、呉服屋格子
  • と呼ばれているそうである。

    木代邸の親子格子は親2本、子2本(切子2本)と切子格子の少し変わったバージョンでであるが、これも伝統的な町家格子として京都にもあるようです。


    C.内部

    平面図 1 玄関土間から部屋 2 大戸 3 玄関格子戸 4 店の間 5 玄関の間 6 奥の間 7 中庭廊下 8 廊下 9 湯殿 10 厠 11 廊下 12 奥納戸 13 吊り階段 14 中納戸 15 居間 16 帳場 17 居間土間 18 囲炉裏の間 19 囲炉裏土間 20 井戸

    写真は木代邸の平面図です。この写真の中の○番号をクリックするとその場所の写真を見ることができます。

    C-1.部屋

    表側・・・店の間、玄関の間、奥の間

    裏側・・・居間(いま)、中納戸(なかなんど)、奥納戸(おくなんど)

    の三列六間取り(さんれつろくまどり)である。

    さらに囲炉裏の間、湯殿、厠とある。

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    C-2.360度カメラ

    スマーとフォンでは画面の自動回転ロックを解除して横画面表示でご覧頂くと広く見えます。

    スマートフォンでは2本指で左右や上下に動かして、全体をご覧ください。

    玄関の土間から(360度)

    店の間(360度)

    玄関の間と奥の間(360度)

    奥の間(360度)

    居間と中納戸(360度)

    囲炉裏の間(360度)

    奥納戸(360度)

    湯殿(風呂)(360度)

    土間(360度)

    店の間からの360度の様子

    マウスで制止させて、上下左右の好きな所を見ることもできます。

    新庄宿の脇本陣木代邸 - Spherical Image - RICOH THETA

    C-3.番頭の部屋、居間

    居間と中納戸(360度)

    ▼省スペース有効活用〜文書保管
    番頭の仕事場所
    ▼省スペース有効活用〜文書保管
    階段の下は文書保管庫

    階段の下部を戸棚にして、日常の大福帳などが保管できるように作られています。現在は畳となっていますが、江戸時代は番頭のスペースを襖で仕切ることができていたと思われます。

    ▼省スペース有効活用〜折畳記帳台
    折畳式の記帳台

    番頭が使用したと思われる記帳台は、仕事がないときは、足をたたんで台を倒し、部屋を広く使ったようです。また小さな障子を開け閉めすることで、店の様子を見たり、店から見えないようにしたりすることができます。

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    C-4.囲炉裏の間

    囲炉裏の間(360度)


    ▼内を向く鯛
    内へ向く横木の固定具の鯛

    居間の奥側に囲炉裏の間がある。板張りの部屋であり、囲炉裏が二か所もあり、珍しい造りとなっている。冬の間、雪が降り、峠を往き来する者にとっては早く多くの者が暖まれるように、ということもあったのだろうか。

    この囲炉裏の自在鍵(じざいかぎ。自在鉤とも)は松竹梅の材を使ってある。上から竹、梅、松となっていて、松で「鯛」をかたどっている。そしてその「鯛」は家の中の方へ向いている。「めでたいものは内へ内へ」ということのようです。私はさらに「めでたいものが入ってくることを待っていたい(「松てい鯛」)」と駄洒落を言いたくなります。

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    C-5.玄関の間

    表の中央部分に、式台があり、そこから上がった部屋が玄関の間であり、仏間である。そこに仏壇がしつらえてある。その仏壇の前で拝み会釈をして奥の間に入るという造りである。

    仏壇の天井は碁盤のように桟が入り奥4×横6列の格天井(ごうてんじょう)の形が取られている。


    C-6.奥の間〜床の間、狆潜り、釘隠し

    奥の間(360度)

    ▼床の間と筍面(たけのこづら、たけのこめん)
    床の間と筍面(たけのこづら、たけのこめん)

    床柱の筍面

    奥の間には床の間があり、床柱の下部には「筍面(たけのこづら、たけのこめん)」が手前が丸い床柱の下部を,床框(とこがまち)の面にそろえて平らに削って木目が見えるようにしてあり、その木目が筍のように見えることから「筍面」とか「筍面付け」「竹の子ツラ付け」「笋面(たけのこめん)付け」とも書く。簡単に、「筍付け」「筍」ともいうようである。


    ▼狆潜り(ちんくぐり)
    狆潜り(ちんくぐり)

    床の間からの狆潜り(ちんくぐり)

    また床の間から床脇へ続くように穴のように造られた「狆潜り(ちんくぐり)」とか「犬潜り(いぬくぐり)」と呼ばれる「吹き抜き(ふきぬき)・吹き抜け」がある。


    ▼釘隠し(くぎかくし)
    釘隠し(くぎかくし)

    長押(なげし)鶴の釘隠し(くぎかくし)

    奥の間の長押(なげし)には釘を隠すための鶴の形をした釘隠し(くぎかくし)が取り付けてある。(本陣には甕の形の釘隠しがつけられていた。)

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    C-7.湯殿(ゆどの)・厠(かわや)

    湯殿(風呂)(360度)

    ▼湯殿(ゆどの)
    湯殿(ゆどの)

    湯殿と刀掛け

    納戸横の廊下を突き当たったところに湯殿がある。今で言う風呂である。湯殿にはいって左側が一段高く造ってあり、脱衣場となっている。その奥の壁面には刀掛けも設けてある。


    ▼風呂桶
    風呂桶

    風呂桶

    湯殿には大きな風呂桶を置いている。この桶に沸かした湯を入れて湯あみをしていたのである。


    ▼湯殿外への戸口
    湯殿外への戸口

    戸口

    外への出入り口として利用されていた戸口。別の場所で沸かした湯を次々に運んで、湯船を満たしてお風呂に入っていた。


    ▼湯殿(ゆどの)の窓
    湯殿(ゆどの)の窓

    湯殿の窓

    湯殿入り口横の壁には格子に組まれた窓が造られている。換気のためなのだろうか。

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    ▼厠(かわや)
    厠(かわや)

    湯殿より奥まったところが厠(かわや)である。右手の戸を開けると個室となる。


    ▼厠(かわや)と刀掛け
    厠(かわや)と刀掛け

    厠内部と刀掛け

    厠の個室にも刀掛けがしつらえてある。武士は室内にいるときでも脇差または前差し(短刀)をいつも帯びていたようで、湯殿や厠にも刀掛けが必要だったようです。侍の自宅の厠では刀掛けがあり、そこへ大刀も脇差も掛けて入っていたようで、夜中の厠の時は小刀(脇差)を帯びて用を足していた。(「侍の刀剣」参照)

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    D.戸

    木代邸を入るといくつかの種類の戸に出合える。大戸(おおど)、格子戸(こうしど)、蔀戸大戸(しとみど)、舞良戸(まいらど)などが主なものです。

    土間(360度)

    玄関の土間から(360度)

    ▼格子戸(こうしど)
    格子戸(こうしど)

    D-2.格子戸(こうしど)

    店の間の土間から居間の土間への境、さらにその奥の囲炉裏の間との間には格子戸がある。よく磨かれて、意匠に富んだものでつい手を触れてみたくなる戸である。


    ▼上がり台
    上がり台

    上がり台と格子戸の影

    居間への上がり台は百数十年の拭き込みで光沢で光っており格子戸から洩れてくる明かりが写る様子も素晴らしい。


    D-3.蔀戸(しとみど)

    ▼蔀戸(しとみど)
    蔀戸(しとみど)

    部屋内にある蔀戸(しとみど)

    蔀戸は普通、通りなど外に面したところに設置されるものが多く、寝殿造りや神社拝殿などで板の両面に格子が付けられたものがよく見られる。それによって日光や風雨、寒さを防ぐものである。上下に開閉できる戸である。この戸は溝を使ってスライドさせることができるので、半開きもできるし、戸全部を天井に吊り上げて、全開することもできる。現在は障子をはめており、この蔀戸を完全にしたまで下すことはできません。蔀戸を下すような寒いときには障子は外していたのでしょうか。

    室内にある蔀戸は県下でもあまり残っていない珍しいものです。

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    D-4.舞良戸(まいらど)

    ▼舞良戸(まいらど)縦
    舞良戸(まいらど)縦

    縦の舞良戸(まいらど)

    舞良戸というのは、舞良子(まいらこ)という細い桟(さん)を狭い間隔で横あるいは縦に取り付けた板戸のことです。多く書院造の建具などに用いられる建具です。この木代邸にあるのは、桟が縦に入れてある縦舞良戸で、玄関式台のところに取り付けてある。写真では左右に開かれている。


    ▼舞良戸(まいらど)横
    舞良戸(まいらど)横

    横の舞良戸(まいらど)

    庭に通じる入口のところにも舞良戸がある。こちらは桟が横に入れられてある横舞良戸である。


    D-5.井戸(いど)

    ▼井戸(いど)
    井戸(いど)

    屋内にある井戸

    井戸が屋内に設置されている珍しい作りです。日常生活での食事の水、風呂の水、醤油づくりのための水として、使用されていたのでしょう。

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    E.階段

    E-1.庭階段

    ▼庭階段
    庭階段

    E-1.土間からの階段

    使用人が働きながら2階に上がることのできる階段。上で蚕を飼ったりしていたのでしょう。使用人の休む場所としても使われいたのかもしれません。

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    E-2.箱階段

    居間と中納戸(360度)

    ▼箱階段
    箱階段

    中納戸にある階段である。一番しただけが引き出しがついている。上の部分の裏側は、隣の部屋、帳場(居間)の戸棚となっている。帳場で大福帳などの記入をしながら箱階段の戸棚が有効に活用されていたのであろう。

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    E-3.吊り階段

    奥納戸(360度)

    ▼吊り階段
    吊り階段

    奥納戸にある階段で、使わないときは、天井に吊り上げておくことができる。天井裏は戸を閉めてふさぐことができる。その戸には木製の車がついていて、引くとガラガラという音がする。江戸時代の音を今も聞くことができる。


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    3つの階段はすべて立ち入り禁止としている。

    F.掛け軸とふすまの書

    ▼掛け軸
    掛け軸

    F-1.「松樹千年翠」(しょうじゅせんねんのみどり)

    書:観峰。

    意味:松の木の緑色が千年の長い歳月を経ても風雪に耐え抜いて、少しもその色を変えない、という意味で、祝語として床の間の掛け軸にもよく使われる禅語です。松竹梅を「歳寒の三友」と称す。禅門においては松を仏とみて、その不断の説法を心で聴けと説く。


    ▼掛け軸2
    掛け軸2

    F-2.「山路靜」(やまじしずかなり)

    書:

    中国の宋の時代の真山民という人の五言律詩「興福寺」

    爲厭市喧雜,携詩來此吟。鳥聲山路靜,花影寺門深。

    樓閣莊嚴界,池塘清浄心。松風亦好事,送客出前林。

    があります。その一部が記されています。

    意味:鳥の声が響いた後の山路はいっそう静かである。


    F-3.襖で隠す仏壇・戸棚・階段

    この4枚の襖の裏には、仏壇や戸棚や階段を隠す役割を持っています。

    ▼ふすまの書
    ふすまの書

    F-4.「竹柏喩堅貞」(ちくはくはけんていのたとふ)

    書:高宮斐

    孫子の言葉である。竹柏は「なぎ」というマキ科の植物のことである。「竹」は節があってきっちりしている。「柏」は四時(春夏秋冬)色を変えぬことから、松とともに、節操の堅いのにたとえられる。竹は柏は私のようになりなさいと教えているという意味。


    F-5.「君子之行、靜以修身、倹以養徳、非澹泊無
    以明志、非寧静無以致遠」

    三国志「出師の表・誡子書」。諸葛孔明の言葉。

    「それ君子の行いは静を以って身を修め、倹を以って徳を養う。淡泊にあらざれば以って志明らかならず、寧静にあらざれば以って遠きを致すなし。」

    優れた人間の行いは穏やかな心で欠点を直し、足りないところを補い、つつましやかな行いで優れた人格を養う。無欲でなければ志はたたず、心穏やかでなければ目標を達成させることはできない。


    F-6.「守道有天知」(道(みち)を守(まも)れば天(てん)の知(し)る有(あ)り)

    「人として人たる道さえ守れば天が知る、故に幸福が報いてくる」 人たる道を守れば天は知り福が来る。大岡越前の南町奉行所のお白州正面に掲げてある額にあり、彼の座右の銘か。


    F-7.「擾擾馳名者,誰能一日閨B我來無伴侶,把酒對南山」

    擾擾(じょうじょう)として名を馳する者,誰か能く一日(しずか)なる。 我れ來って伴侶無し,酒を把って南山に對す。

    遊城南十六首:把酒。

    (長安の南でゆっくりしている時の詩、十六首の「酒を片手に」) ざわざわと目立って自己の名声を売って歩く者たちが居る。そんなやつをだれがのんびりした一日をもっているというのか。 わたしはそんなやつとは違ってここに来て誰一人相手もないが、酒を片手に陶淵明の「悠然として南山をみる」と同じに終南山にむかうのだ。 (城南に遊ぶ十六首:酒を把る)

    参考:漢詩研究

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    G.開館

    平成10年(1998年)4月5日に開館して、以後建物の案内や管理は町つくりの会員(会の発足は平成6年、1994年)が受け持っている。

    4月上旬より5月連休終了までは毎日、それ以後は土日、あるいは日曜日だけが、10月末まで開館となる。