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(10)津山藩預りの天領に(天保8〜慶応4、1837〜1868年)
真島郡は勝山藩のままですが、大庭郡のほうは、また一部に天領で津山藩預かりの地区と津山藩の地区に分かれてしまう。川一つ隔てて、年貢や支配の状況などいろいろな違いもあっただろう。人々の思いはどうだったのだろうか。 
(1)森家津山藩(1603〜1697年) 
(2)真島郡と大庭郡 
(3)天領時代(1697〜1698年) 
(4)松平家津山藩と天領時代(1698〜1727年) 
(5)山中一揆後の天領時代(1727〜1746年) 
(6)竜野藩に一部割かれる時代(1746〜1764年) 
(7)三浦家勝山藩が誕生(1764〜1812年) 
(8)大庭郡が津山預りとなる(1812〜1817年) 
(9)大庭郡が津山藩に組み込まれる(1817〜1837年) 
(10)津山藩預りの天領に(1837〜1868年) 
(11) (2)〜(10)までを通して 
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