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(5)山中一揆後の天領時代(享保12.5〜延享3、1727〜1746年)

領主の浅五郎がなくなった、山中一揆の後は、現在の真庭郡は、再び幕府が治める天領の時代となりました。

山中一揆前後の領地地図

(1)森家津山藩(1603〜1697年)

(2)真島郡と大庭郡

(3)天領時代(1697〜1698年)

(4)松平家津山藩と天領時代(1698〜1727年)

(5)山中一揆後の天領時代(1727〜1746年)

(6)竜野藩に一部割かれる時代(1746〜1764年)

(7)三浦家勝山藩が誕生(1764〜1812年)

(8)大庭郡が津山預りとなる(1812〜1817年)

(9)大庭郡が津山藩に組み込まれる(1817〜1837年)

(10)津山藩預りの天領に(1837〜1868年)

(11) (2)〜(10)までを通して


山中一揆後、5万石に減石された松平家津山藩