江國香織著『つめたいよるに』理論社、1989.8初版。1993.10新装版初版
笑うという表現が多かった。養老院には、ぼけてしまった老人がたくさんいる、若い女の人の血をすって生きているとか、子供の肉でつくったハンバーグが大好物のおじいさんがいるとか、子供たちのあいだでうわさになっていた。そんな老人の散歩のときのであいから、
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「あんた、トキオ、いうんか。わたしはトキ、いうんじゃよ」
・・・
「友達になってくれるかの」
おばあさんは破顔一笑、そう言った。
おばあさんが゛ルームメイト゛という言葉を使ったのがなんとなくおかしくて、時夫は心の中でくすっと笑い、緊張が、するっとほどけた。
おばあさんははずかしそうに笑うのだった。
時夫の視線に気がつくと、しずかに、ふわっと笑った。小さな、白い、あどけない顔だった。
ほんとうに、ぽってりと紅いきょうちくとうの花が、夏の日ざしの中で眠たそうに咲いていた。
時夫がやっとの思いで返事をすると、ひさしさんはにっこり笑って、・・・うれしそうに言った。
時夫はほっとした。何だ、死んだわけじゃないんだ。そんな時夫の気持ちをみすかしたように、げんさんはにやっと笑って、・・・行ってしまった。
おばあさんの、いたずらっぽい顔を思い出していた。
時夫はあいまいにごまかし笑いをして、・・・・
楽しそうにしゃべっていたひさしさんを思い出すと、時夫はひどくいやな気持ちになるのだった。あんなにあっけらかんとしちゃってさ。
とつぜん、おばあさんがにたっと笑った。顔全体がふにゃっとくずれるような、奇妙な笑い方だった。
おばあさんはうれしそうににたっと笑うのだった。
「おんなじ名前だな」
と言って笑った。十五分たっても、おばあさんはその日眠らなかった。目をぱちぱちさせながら、笑ったりしゃべったりしている。
「うん、またくる」
おばあさんは心細そうに笑って、待っとるよ、と言った。