江戸時代の百姓一揆の推移

一口に百姓一揆といっても、その形態はさまざま。

真庭で起きた山中一揆はその中でも「蜂起」と呼ばれる形態です。

緩やかなところから揚げると、愁訴、逃散、越訴、不穏、打ちこわし、強訴、蜂起となります。

山中一揆やこの形態については
http://www.can-chan.com/santyuu-ikki.html
「山中一揆」のページをご覧ください。

横山十四男著『百姓一揆と義民伝承』の中に40~50年間の区切りにこれらをまとめた表があり、それをグラフ化してみたのが下の図です。

山中一揆は、享保・宝暦の50年間に起きた11件の蜂起の中の1つということが分かります。

また8代将軍徳川吉宗の享保年間の時期から急激に一揆が増大し打ちこわしや強訴や蜂起など力強い農民の孝道が感じられるようになります。

江戸時代の一揆の件数

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