西暦1757年2月17日が消えた!宝暦7年1月1日の前日の西暦は?

私のサイトに作成している「旧暦-西暦の相互変換」について、「ご感想はこちらへ」をクリックして送信してくださった方から、次のようなお問い合わせがあった。

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西暦1957年2月17日が不明なので、お手数でしょうが、調査をお願いします。



2.旧暦(和暦)から西暦に変換を使用して、「宝暦6年12月29日」を入力すると、「西暦1757年2月16日」と表示されます。



同様に、「宝暦6年12月30日」を入力すると、「指定した月は小の月です。29日までしかありません。」と表示されます。



同様に、「宝暦7年1月1日」を入力すると、「西暦1757年2月18日」と表示されます。



以上、よろしくお願いします。

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「西暦1957年2月17日」は単純に「西暦1757年2月17日」であることが、文面から分かった。問題はそれではなく、宝暦6年12月29日」と「宝暦6年12月30日」、「宝暦7年1月1日」の西暦がどうなっているかなのです。

1日が抜けているということは、暦の信頼を失うことにもなるし、もとにした書籍の信頼にもかかわるので、調査してみた。

しばらくこの旧暦-西暦の相互変換」の手入れをしていないので、確認することができるかどうか、宝暦6年のところの記述をうまく確認することができるか、またその記述の間違いなどを確認できるか、など不安を次々に抱えながらの調査でした。

元にしております「日本史小百科 暦」に立ち返り、再計算をいたしましたところ、記述を間違えていたことが判明しました。

 
正しくは
宝暦6年12月27日→1757年2月15日
宝暦6年12月28日→1757年2月16日
宝暦6年12月29日→1757年2月17日
宝暦6年12月30日→「指定した月は小の月です。29日までしかありません。」
宝暦7年1月1日→1757年2月18日
 
となるようです。
ご指摘をありがとうございます。
 
現在、桓武天皇の時代の天応元年まで、西暦(グレゴリオ暦)に変換できるようにしているので、あと200年近くは、その参考図書から導き出せるはずだが、今回も時間の都合上、遡ることができなかった。
 
今後ともこのような指摘を頂けると、作ったことの喜びを感じることができる。

 

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