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後鳥羽上皇 関係地形図
ポイントのところにカーソルを持っていくと説明が読めます。右の「後鳥羽上皇ゆかりの地」から場所を選択してください。
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後鳥羽上皇ゆかりの地
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この地図は国土地理院の電子国土ポータルの地図作成に基づいてつくっています。関係ポイントの数が多くなり、ポイントのアイコンが重なっていますが、地図右にある「後鳥羽上皇ゆかりの地」から見たい地点を選ぶと拡大された地形図が表示されます。また地図上にあるで地図を1段階ずつ拡大していくこともできます。岡山県真庭郡新庄村の「中山」にある「硯岩」・「枝垂れ栗」・「後鳥羽上皇歌碑」の3つの地点については、携帯電話のGPS機能を利用して、経度緯度を測定したものをもとにして、地形図での地名検索と作図とXML作成でその経緯度に地図を移動させその「度数表示」を入力しました。隠岐でもこういう技を利用すればよかったと、後悔します。旅行時点ではここまでの構想がなかったということでもありますが…。
後鳥羽上皇の配流のルートは詳細には記されていないようです。つまり、
都(鳥羽殿)・・・水無瀬・・・明石・・・美作と伯耆との中山・・・大八浦・・・隠岐
という道順であったということで、大八浦は今の美保関のことです。
鳥羽離宮跡。鳥羽殿跡。白河天皇や鳥羽天皇が院政時代に上皇が鳥羽殿を御所とした。承久の乱に破れてこの鳥羽殿へ移されたという。
朝顔光明寺は光源氏が「秋風や 波やこすらむ 夜もすがら 明石の浦の 月の朝顔」と詠んだと伝えられる「月見の池」がある。
後鳥羽上皇は明石の浦に来たときに、供のものに「ここはどこか」と尋ねると「名高き明石の浦にて候」と申したれば、過ぎし日、都を御夢中にて御立退き遊ばされたことに心付けなされて筆をとり、「都をは くら暗にこそ 出でしかと 月はあかしの 浦にきにけり」と詠まれた。(『後鳥羽上皇中山之御舊跡』昭和5年11月10日印刷 佐野篤太郎著 新庄村発行)
仏国寺(松江市美保関)。浄土宗竜海山仏国寺。古三明院(いにしえさんみょういん)とも。美保関は出雲大浜浦のこと。風待ちの御座所としてここにしばらく逗留された。都へ引き返すものに寵姫修明門院に贈られた一首の和歌
しるらめや うき世をみほの浦ちとり なくなくしほる袖のけしきを
東京スカイツリーから検索と緯度経度(Googleマップ)や東京スカイツリーからYAHOO地図検索をご覧いただければ、GoogleマップやYAHOO!地図を利用した同じ地点の地図をご覧いただけます。こちらの方はZENRINの地図データを利用しているので、ほぼ現在の様子が表示されています。また航空写真や地形表示もできますが、国土地理院の地形図は地形をより細かく見ることができるということで、良さがあると思い、今回の地図作成に取り組みました。地形図での地名検索と作図とXML作成もデータを作り上げるのに便利なものです。
■参考文献■
「メルヘンの里新庄 −歴史と文化ー」畔高義正著(岡山県真庭郡新庄村、新庄村教育委員会発行、1986年2月26日初版第1刷発行、1997年3月1日増改訂第3刷発行)
「後鳥羽上皇 中山之御舊跡」佐野篤太郎著 新庄村発行 昭和5年11月10日印刷
「後鳥羽上皇隠岐御遷幸御道筋に就いて」岡山県和気郡三國村史調査会 大正15年2月11日印刷 発行者 竹内安四郎
「日本歴史推理紀行」(林 直道著、青木書店 1991.10.1第1刷発行)の中の「後鳥羽上皇隠岐配流ルートの謎」「後鳥羽伝説の虚実」
「久米郡誌」
「隠岐の後鳥羽院」田邑二枝著(後鳥羽院顕彰事業実行委員会、初版昭和41年4月4日、復刻版平成22年3月30日発行)
「隠岐島前 観光ガイドマップ」
「隠岐島前・道後Oh!道+ちょんぼし楽しいポイントMap 2010年度版」(発行元 隠岐空港利用促進協議会・隠岐ツアーセンター)
「海士町後鳥羽院資料館 入館パンフ」
「隠岐神社 パンフ」