七日経ち伸び伸び泳ぐメダカかな #jhaiku #haiku #photoikku

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つれあいが知り合いから頂いてきたメダカの卵。
聞いたとおり、1週間で卵からかえった。
初め2匹ほどだったのが、あっという間に、10〜20匹に増えていた。
これがどれだけ生き延びていくものか、初めての体験。

WordPressで改行と段落

WordPressで文章を書きエンターキーを押すと改行されると思ってやってきた。(エンター)

すると一行あいた感じになることを何となく違和感を持ちながらやってきた。(エンター)

何となしに見ていたネットでそのことを記述していたところにである。(エンター)

エンターキーは段落を変える設定になっているのだと。改行だけならシフト+エンターをすればよい。(シフト+エンター)
すると改行だけになる。大きく段落を変えたいときだけエンターキーをおせば、(エンター)

一行あけることができる。

セルの値に語句を追加してをシート名に

毎月作るエクセルのシート。
いちいちシート名を変えるのは面倒なこと。
そんなときに、セルの値を利用して自動的にシート名をつけることができれば、同じシートをコピーして増やしていっても、楽である。

シート名のタブの所で、右クリックして表示されるメニューから「コードの表示」をクリック。
表示されるファイル名sheet(番号)(コード)という白紙の窓の中に以下の記述をコピーして貼り付ける。

D2には月を示す数字を入力している。D2はセルの書式設定で、ユーザー定義>「G/標準"月"」、として「6」と数字を入れるだけだが、「6月」と表示されることになる。

シート名は「○月」という表示にするために、D2の値に「月」をプラスしている。下のコードの「&"月"」の部分である。
 

///////////

Private Sub Worksheet_Change(ByVal Target As Range)
On Error GoTo ERR_HANDLER
If Target.Address(False, False) = "D2" Then
ActiveSheet.Name = Range("D2").Value & "月"
End If
Exit Sub
ERR_HANDLER:
MsgBox "現在のD2セルの値はシート名にできません。"
End Sub

///////////////

実際に、D2の値あるいは文字を変更すると、シートの名前が変わっていくことを確認することができる。

満月の入日を急かす芒種かな #kigo #jhaiku #mysky #haiku #photoikku

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満月だというのにまだお日様は残っている。
せっかくの月の輝きも半減してしまう。
これからは田植えも始まるというのに、まだ麦の残っているところもあるのか?
早くしてよと願いは強くなるばかり。

水ぬるみ苗待ち暮れる代田かな #kigo #jhaiku #haiku #photoikku

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田水を引いて、冷たい山の水は次第に温められていく。
お日様の力、地面の力。
今日一日たっぷり照らして下さったお日様も、一日の仕事なし終えて、静かにお休みになろうとしている。
また明日頑張るからねと、笑顔を振り向けて。

代田引く山と神とに見守られ #kigo #jhaiku #haiku #photoikku

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田は水を入れる前から何度も耕され、水を入れてからも土を細かく耕している。
上から上から、田に水が当てられていく。
まさに水田となっていく。
そして水田は鏡となる。
太陽を照らす大鏡となる。
太陽はこの水田の鏡を見て、自分のホクロがどこにあるのかを確かめているのかもしれない。
神社にも鏡が祀られている。
遠くに見えるこんもりとした杜にはお社がある。
山々に降った雨は、小川となり川となり、細い水路を通って田に引き入れられる。
水路の整備、田の畦の草刈り。
いろんな作業をしながら、代田になっていく。
山奥から山奥から、田植えが始まり、里へ里へと、田植が繰り広げられる。

サンザシを夏バテ防ぐ印籠に #kigo #jhaiku #haiku #hana #photoikku

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サンザシの花を始めてみる。
昨年、知り合いから頂いたもの。
消化吸収を助ける漢方にも利用されるという。
これから夏バテになる人もいるという。
私にはそういうものがない。
夏でも相変わらずよく食べることができる。
時には食欲ないわ!、と食べる量が減ると身体にはいいのかもしれないが。

夏服や吸い込まれそう青い空 #kigo #mysky #jhaiku #haiku #photoikku

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6月は衣替えの時。
気温不順でいつから夏にしようかと、思い悩む時期。
こんな青空がいつも出るようになると、夏服バンザイ。
でも、鬱陶しい梅雨が待ってますね。
今年も元気に乗り切りたいものです。

いとおしい妻子のもとへ雪の中 #jhaiku #haiku #book

 『鉄道員(ぽっぽや)』の映画がテレビで放映されたときに見始めて、そのゆったりとした流れに乗れ切らず、途中でやめてしまった。最近、妻から何度となく「『鉄道員』を読んでみたら?とってもいいよ。」と言われながら、映画の印象からか、なかなか気が進まなかった。それがある日、一人で休日を過ごすことになり、退屈に思い、『鉄道員』を手にした。とっても良かった。

♪汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ♪
この歌が、すぐ浮かんできた。
 モクモクと黒い煙を吐いていた汽車を動かしていた鉄道員の佐藤乙松が駅長として、定年を迎えようとしていた。
ぽっぽやは、生まれたばかりの娘雪子を病気で、そして妻の静枝にも先立たれた。廃線間近の終着駅の駅長ゆえに仕事を優先させ、子や妻の死を傍で見送ることができなかった。
その後悔が、雪の日に忘れ物を取りに来た少女に優しく振舞うが、過去の後悔の念の罪滅ぼしとも思える。

 最愛の人を失う時の気持ちはどうであろうか?
 そして自分の死を迎える時はどんな思いが呼び起こされるのだろうか?
 さらに分かれていく愛する人へどんな思いを届けようとするのか?
 この主人公の「ぽっぽや」乙松は、最愛の娘や妻を亡くした。それも駅長という仕事があり仕事を優先するあまり、娘だけでなく自分を支えたであろう妻との別れに際しても、傍にも寄り添えずにいた。なぜ仕事を優先したのであろうか。廃線間近の終着駅の駅長だからか。廃線になるまでは、駅を守ろうとしたのか。利用者にはいい顔を見せ、家族にはそっぽを向いたのか?
 私も両親を亡くした。父が亡くなる時、私は仕事をしていた。急変を聞いて駆けつけた時には間に合わなかった。母が亡くなる時は辛うじて亡くなる直前まで手をさすり呼びかけながら送ることができた。しかし呼びかけても返事もなく、静かに息を引き取る母の姿に、自分の無力さを痛感した。母に対してできることは、手をさすりながら傍についていることを感じてもらうこと、浄土の世界に生まれるとことを願って、南無阿弥陀仏の念仏を唱えること、それくらいしかできなかった。
 乙松は家族との別れより、仕事を優先させてしまった。私はそうありたくない。舞台人が「舞台の上で死ねれば本望だ」という言葉を発するたびに、そこまで芸に打ち込める人は素晴らしいとも思うが、私は家族に見守られながら往きたい。私は最愛の人との別れにはすべてを投げ出すだろう。
 妻子との無念の死別、駅で静かに息を引き取った乙松の姿に、汽車のボーっという寂しい警笛と冷たい雪が重なってしまい、何度となく涙してしまった。

白雲に一筋の光きっとあり #jhaiku #haiku #photoikku

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仕事をしていてなかなか事がうまく進まない。
頭の中はモヤモヤと。
そんなモヤモヤの頭の中に、スーッと一本の光が差し込む。
解決の糸口。
それがどんな細い線であったとしても、また前に進む元気が出る。
そんなことの繰り返し。
だから面白いのだろう。

蕗の葉を求めて泳ぐ烏賊の花 #kigo #hana #jhaiku #haiku #phitoikku

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烏賊のような形をした花、ビギーバックプランツ。
我が家の庭の蕗が生えているあたりに咲いている。
蕗は山に近いた頃にある我が家だからあるのだろう。
でもこのビギーバックプランツはどういう経路でここにあるのかわからない。
何かの花と一緒にやってきたのだろう。
花の形が変わっていてお気に入りの小さな花である。
蕗をとるときは葉っぱが目印。
蕨より随分見つけ易い。

トチの花ステーションまでロケットに #jhaiku #haiku #photoikku

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無人ロケットが宇宙ステーションにドッキングする時代。
凄いことができるようになったものだ。
トチの花を見てると、ロケットのように見える。
たくさんのロケットが、青空に向かって準備されている。
次から次と物や人を運んでいきそうだ。
青空に向かって飛んでいけ栃の花ロケット。

シャクナゲの花の盛りは山霞む #hana #jhaiku #haiku #photoikku

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蒜山高原センターのシャクナゲ祭りは27日が最終日であった。
シャクナゲの多くは、さすがに終わりの表情であった。
そんな中でも、2m以上の高さになっている木もあり、見応えも感じた。
残念に思ったのは、シャクナゲと蒜山三座が同時に見えるいいスポットが余りなかったことである。
植えられている斜面からすると、午前中が花を見るには良いのだろうが、そうなると、蒜山惨座に背を向けることにもなるし。