ホームベーカリーのフランスパン作り が、続いている。 今回は、いりゴマと、紅茶入りとしてみ た。 強力粉カメリヤ 250g 薄力粉 30g バター 5g 塩麹 20g
180g
水
紅茶 1パック いりゴマ 適当
やはり水の量は、塩麹の水分量もあるか らこれくらいがいい感じだ。昨夜のうち に予約して、朝に焼き上がるようにして おいた。 今朝は、端の部分を食べたが、ここが香 ばしくて美味しい! [category ライフ,,] [tags フランスパン,塩麹,紅茶,ゴマ,]
がいせん桜も昨日、開花宣言が行われた。我が家の桜も、開花しました。
今日は春の嵐。すごい風と吹きつける雨。
ひどい天気です。
これは、3月28日の朝の様子。
霧の中で、新庄村のメルヘンのタワーが聳え、一方では街路のキャラボクが微かな光で緑を際立たせていた。
ジェノサイドについてのインタビュー記事があった。これを読むと一層面白くなる。
No tags for this post.本日、新庄村ふれあいセンター教養娯楽室で山田淳(株式会社フィールド・マウンテン代表取締役社長)さんの講演を聞く機会に恵まれた。氏は世界七大陸最高峰登頂の元世界最年少記録保持者(23歳9日)で「やまどうぐレンタル屋」を経営しながら「日本の登山人口の増加と登山事故の減少」をめざしておられるそうです。以下は公演中にメモしたもので、文のつながりがわかりにくいところも多々あるとは思いますが、誤変換は気のついたところでわかるところは直しました。
ユーラシアを2つに分けて7大陸となる。
登山のきっかけは、中学一年の屋久島合宿。
東京大学経済学部一年でキリマンジェロ。地球の歩き方のガイドブックに載っていた山だった。ヘミングウェイの「キリマンジェロの雪」。行くたびに氷河が減ってる。
アコンカグア。人から聞いて登った。ベースキャンプで亡くなった人もいた。高山病だった。
7000mを超えると、空も濃紺になる。
人が多く登り始めると、施設も整ってくる。ドクターの施設などもできてくる、ベースキャンプ。
マッキンリー。50kgの自分が100kgの荷物を上げることになる。トイレから眺める景色も良くて、入る人は長く入っている。
百名山とか、最高峰とか言われるだけで人が多くなる。二番目とそれほど変わらなくてもだ。
欧州最高峰エルブルース。カフカス山脈。山に登る途中で戦車に出会うような治安が問題のところ。
オーストラリア大陸の最高峰。遊歩道で楽に上がれる。
南極大陸最高峰。ビンソンマジブ。ほとんど1000mもの氷に覆われ、南米から飛行機で行く。南極には人工物を残すことはできない。おしっことうんちもアルゼンチンに持って帰ることになる。オゾンホールがあり、日中は20度くらいになる。白夜になる。夜は氷点下20度にもなる。クレバスもなる。南極の最高峰の印もない。南極は磁石は効かない。GPSも不明。人工衛星は自転に沿って回る。極点は通らない。周囲を見て高いだろうと感じて最高点と考える。
北極は熊もいる。進んでも、氷が動いて戻ってしまうことも。
カルステンツ・ピラミッド。ダニ族。ペニスケースの民族。裸だが、ベースキャンプでは服も着ている。観客向けの姿と、銅山で働き、テレビやゲームもしている部分もある。
エレベストは自分で隊を組むときは2000万円いる。低音マイナス40度。風速30m。登るのに二ヶ月かかる。マスコミに出るなどで資金を得る。国立スポーツセンターの低圧酸素室を使わせてもらう。今まで使用されていなかった部屋だったが、自分が安全性を確かめる役をかって出る。それによって初めて使用出来る部屋となった。
ベストとされる筋肉量と脂肪量。フィギアは筋肉も脂肪も少ないほうがいい。登山は脂肪を少なく筋肉量を増やす。
ベースキャンプまではヤクを使って荷物を上げる。6900m。初日は7000mまで上がってすぐ戻る。次は一泊して戻る。そうやってc1_c4まで行きつ戻りつを繰り返していって最後の頂上を目指す。だからC4から頂上に行く時は5日後の天気まで予想しないと登れない。
中国ではチョモランマ、ネパールではエベレストとは言わない。ネパールではサガルマータ(天空の乙女)という。エベレストは宗主国のエベレスト卿の名前から。
エベレスト山頂でパソコンを開いてる。IBMの特製パソコン。
登山ガイド。週末だけ。20人を連れても、年50回。広く伝えられないといジレンマ。
山を活かす。登山人口は1200万人。日本人口の一割。平成20年までは500万人だった。もっともっと増えていい。韓国は三割以上。日本の山に多くやってきている。
安全登山。韓国より高く、植生も豊か。でも事故も多い。マスコミは前年比で二倍などと報じるが、登山者が増えると事故も増えるはずで、分母と比較して見ないといけない。
山登りの主体は60代以上。4割を占める。山ガールというが60代の女性が増えている。
ネーミングで、登山とすると70万人だが、ハイキング、トレッキング、野山散歩とすると一気に100万ほどの人がやりたいと考えるようになる。
無料や低額でのお試しサービスが必要だ。始めやすい雰囲気とグッズ提供。
興味はあるが行かない人は、情報、安く始める情報、道具レンタル、きっかけ。
百名山の情報はいっぱいあるのにその他の山の情報はない。無名の山を知らすためには一年前から写真をとって次の年に出さないといけない。
なんの情報を出すか。温度、人、申し込みは、装備は、など。
富士山に年間30万人。大手の旅行業者が低価格でバスを出す。
うちでは富士山に登る人の二万五千人ほどにレンタルしている。
顧客のニーズが見えない。ニーズを作る。
宅配レンタル。
山に人が入りすぎると環境が崩れる。
日本は山に囲まれている。これを生かさない手はない。70%の山の生かし方。林業ではインドネシアなどにはかなわない。鉱山資源はない。
四季、山の美しさ、日本のおもてなしの精神を活かすのは観光しかないのでは。日本の産業に求められるものではないか。
東京のわが子の小学校のグランドは校舎の屋上だ。土が触れる所で、自然に触れることは価値あることだと思う。
産業、文化的なことからも、登山を増やすことの意味が見えてくる。そのための手立てを今行なっている自分だ。
そこに住んでいるために、すばらしさが見えないこともある。
交流
毛無山のすばらしさを伝えて登山者が増えるとキャパシティのことが気になる
A、富士山は毎日一万人。シッコやうんちも運ぶ必要も出てくる。
道も整備されている。富士山のいちご目から五合目までは廃墟と化している。道も荒れ放題。
人が入らない仕組みを作るか、人を入れる仕組みを作るか。
入らなくなると、メンテナンスもできなくなる。
Q毛無山も、今は二万人ほどになっている。でも蒜山からやってきて、新庄にはお金が落ちない。
A、長野県は遭難対策のための要員を常に抱えておかなくてはいけない。私は入山料とるべきだと考えている。
不景気に強いレジャー。つまりお金をあまり使わないとも言える。
Q有名な山は入り口に、土産物屋や旅館などがある。新庄にはない。
A、お金を落とす仕組み、メンテナンス対策、コストを考える。土産収入をコストへ。屋久島は土産物屋はない。協力金でトイレを管理するところもある。日本では入山料をとる山は少ない。
海外では入山料を取らない山はない。
無料で入られて、お金も落とさずにいては管理ができない。
Q、毛無山は一方通行で降りるケースも多い。
A、誰も管理されない山になっては荒れるだけとなる。キナバルでは地元の人は無料、近隣はいくら、海外はさらに入山料をとる。
入山制限は地元以外の人だ。それをどうコントロールするか。
Q駐車料金も取っていない。
A、日本人口は減ってくるから、登山人口割合は高めないと行けない。日本の自然はパッチワーク状に出来上がっている。人が来ることによってメンテナンスが出来ればいいのだが。富士山などは韓国、欧米人にマナーといっても、日本とはマナーも違う。
Qきっかけづくり
A、山に行かない人の理由は何か。道具、一歩踏み出すきっかけ。友だちが友達を誘う。誘いやすさのためのイベント。期間を決める。屋久島では、うまくやってる。友達、イベントで期限を決める、など。
Q女性が先に動くと男も動く。それも若い人が動くと、男も動きやすい。20_40代の女性のニーズ、ポテンシャルが高い。口コミでの伝播力が強い。家庭に入ると出にくくなる。レンタルが増えたのも口コミによる。
百名山以外の山の情報に目を向けさせる。
読書メーターに記録をし始めて、高野和明著『ジェノサイド』が100冊目の本となった。
記念すべき本か。
本もスリルを感じながら読むことができ、まるで映画でも見ているようだった。
コンピューターをハッキングでもするのか、新生物。
偵察映像でそこまで捕捉されてしまうのだ!
ピグミーとアフリカの部族、紛争!
難病に効く新薬の開発!
ステルス機!
ホワイトハウスとCIA!
読み応え満載!
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[tags 高野和明,ジェノサイド,,,]
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去年は、ロウバイの花が3つほどしか咲かなかったのに、今年は花もよくつきました。
まだまだ木も小さく、これからなのでしょうが、雪が少なかったのも幸いしたのかもしれません。
これからが楽しみです。
新庄ではあまり見かけたことがないようなので、雪深いと難しいのかなと思っていました。
Rie fuのライブが終わってから、曽根崎のお初天神すぐのふぐ天神梅田本店で、ふぐ料理の天神コースを食べる。
家族全員で大いに満足、みんな満腹。私が一番だろうけど。
小鳥が来ると歌い出すモクレン。
動画にとっては見たものの、うまく表示されるのか、いささか不安。
どうも、スマートフォンでの動画撮影やその変換がうまく行かない。
古田敦也さんが、2013.1.18岡山シンフォニーでの、岡山県幼少中高PTA連合会連絡協議会の研修大会で講演を行う。以下はそのメモ。
両親は宇和島の奥で生まれ、大阪に。自分は大阪生まれ。親父から野球をやれと言われた。父は柔道してきた人。柔道は金にならん。野球なら金になるかもしれんと。近所の子を集めて野球をさせていった。父はボールも投げれなかった。僕を載せて腕立てをする父。台風の日に来いといって川のそばに行き木に登らせる。こわいだろう?だから台風の日は川のそばに行っちゃダメだと。挑戦、冒険をさせていった父。母は150cmほど。見えるものは全て食べろと。自分に似ると普通だったら小さくなるかもしれないと。1斤のパンを食べ切らないと学校に行かせてもらえなかった。小学校三年生の時野球チームに入り、キャッチャーがいないから誰かやれないかという監督に、隣の金田くんがこいつがやれると自分を指さした。監督に問われ、わからないまま、はいといった。当時は走れるデブだった。母は麻雀屋の賄いをしていて、夜十時まで帰らなかった。試合を見に来てくれる両親に活躍を見てもらいたく頑張った。家から一番近い県立に行った。私立高校からも誘いがあったが、ガラが悪いし、プロに行くわけでもないんだからと、父は県立にいけと。
大学も普通に受験、立命と関大に受かる。家から通えるという事で関大に行こうと担任兼野球部監督に伝えたあと、担任のところに、立命の野球部監督から電話があった。その監督は高校野球の気になる試合をチェックに行ったら早く到着したため、その前の試合がまだ行われていて無名の自分のことをたまたまチェックしていたらしい。誘ってもないのに合格してるからと電話をかけてきた。高校の監督もどきの体育の先生は、有名な立命の監督によう断らないから断るなら自分で断れと。仕方なく自分で立命に行ったら、よう来てくれたと。折角だからちょっと練習してみたら?とやってみるとやれそうな感じも。断り切れずにいると、部員に飯でもと連れて行ってやれと促し、飲めや歌えやでその夜を過ごす。いいなあ、と思う。翌朝、やっぱり京都やなと考え出した。母にも野球を続けたいと申し出る。母は、「アッちゃん、ウチラは田舎から出て誰にも負けずにやろうとやってきた。お金がないから諦めろということはできない。何とかするから思うようにやれ」といってくれた。ところが入学すると初日から殴る蹴るの世界だった。先輩後輩も厳しかった。最初の一ヶ月でかなりやめた。やめなかったのは、おかんにあそこまで言わせて入ったから、ケツを割ることはできなかった。1年過ぎるとあとは楽だった。四年の時には、ジャパンの選手にもなり、ドラフト候補にも上がってきた。関西のスポーツ紙は阪神一色。ドラフトの時、同輩では長嶋一茂一色。でも関西では古田がどーんと出て、その隅に「長嶋も」と小さく出ていた。72名の中に上がらなかった。ひな壇にいてテレビを見ていたのにカメラマンや記者から冷たい視線。監督も動揺していて、「古田、とりあえず旅にでろ」と。就職も決まってなかった。家でも近所の人を集めてテレビを見ていた。TV局も来ていた。挫折を感じた。
夜、母からの電話。こんな事で負けたらイカンと。母も泣き出した。「あっちゃん、プロは冷たいところや」と。前日電話で「取る」と言ってたのに。自分は絶対意地でもプロに入らろうと決意。そんな時、トヨタ自動車から声がかかった。喜んでいくと返事。野球に力を入れたいと。工場で仕事をし昼から野球の練習。2年後にドラフトにとってもらわないと、と考えいろいろ考えた。プロに注目されるために、同年輩の中でうまいと見てもらうように、オリンピックのメンバーになること、逆算して、トヨタでレギュラーを、そのために今何ができるか?野球だけでなく、生活面でもあいつに任せておけばと言われるように行動した。
ドラフトの前、二年前と同じ球団から母のところに電話があった。「あんた取りたかったら、じぶんでとりー」と言ってガチャンと電話を切ってやったという。近所も呼ばなかった。自分の弱点はメガネをかけていた。めがねをかけて成功した選手がいなかった。乱視が強かった。メガネをかけているということだけではねられるのはくやしい。めがねをかけている選手が活躍できることを証明したかった。ヤクルトが二位で指名してくれた。母も決まったら知らせてくれといったから、電話をかけた。「ヤクルトに行くわ」と伝えると、おかんは、「トヨタはいい会社やから、よ〜考えや」といわれたのは、ちょっとがくっと来た。野村克也監督は、一難さってまた一難という感じであった。あの人はカメラを向けたらぼやくのではなく、四六時中ぼやいていた。野村監督のミーティングは、今年のチームの方針はこうだというのではなく、教育ということで高めてきた。言葉の暴力は常だった。野村と自分はどちらも一年目だった。怖い監督が来たぞと新年のあいさつ。戦々恐々。ダラーと入ってきて、所信表明どころか、何も言わず、ボードに大きく、「耳、従」。「おいこれが分かるもの手をあげー」と怒鳴った。「情報を集めよ。ということだ。耳を使って情報を集めることによって人間性を高めることが、野球の力がつく」と。このに文字で二時間しゃべって出ていった。2日目も、挨拶もなく、「仕事とは」と書いてペンをおいて振り向いたので、当てられたら厄介とみんなが一斉に下を向いた。「野球」と答えたら、「そんな事わかっとる、それをどうするかということじゃ」と。「関わる人を喜ばせることだ、そのために何をするか、チームが勝たないといけない、組織での利益が最優先、チームが勝つためにどうするか、だ」。
社会人としての立ち位置、組織としてどうするか、二週間くらいそんなことが続いた。この人についていけば勝てそうだと思うようになった。
【質問に対して】
すごいと思ったバッターは松井。松井の第一号は、うちだった。目の前に立つ松井は高校生出とはとても思えない顔だった。パワーがあった。ヒットのイチローよりは一発で点を取る松井は怖かった。
キャッチャーをしててよかったと思うことは?いろんな事を考えている読みを外すのがやりがい。心理の駆け引き、相手の裏を取る。でも新庄だけは読めなかった。カーブ、カーブでツーストライクを取られたら、次もカーブを待っていると考える。そこでストライクを投げさすと、ホームランを打たれた。あるときその時のことを聞いたら、「なんにも考えていない、見えたボールだけを撃っている」と言ったのには、まいった。
No tags for this post.先ほどのものをスライドショーにしてみる。
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昨夜の時点で、このWordPress.orgサイトのいくつかのプラグインを外した状態で、Jetpackの写真添付投稿も可能になった。やはり他のプラグインとの相性がよくなかったのだろう。
いま、以前にもアップした写真だが、800×600のサイズにして4枚をアップし、nogallaryで表示してみる。