「行」は「ぎょうにんべん」ではなく、「街、衛」とともに「行」(ぎょうがま え)という部首。

「ぎょうにんべん」の部首には、「役得、往復、律、徳」など。
一字の中に「行」があれば、ほぼ「ぎょうがまえ」みたいだね。(「銜(くつわ、カン)」の部首は「金」)

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金は金、全て入りて、今は人

あらゆるお金が私の手元に集まった。お金がたくさん集まったから、これから人のことを考えよう、なんてことではない。
これは?漢字の部首の話。
金の部首は金、全の部首は入、今の部首は人。
どこでどう決められるのやら。
テストを作る方は紛らわしくていいのだろうけど。

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冬は冬にあらずして、夏は冬なり。

夏という字の部首は「ふゆがしら、ちかんむり、すいにょう」である。
ところが、肝心の冬という字は?「ふゆがしら」ではなくて、「にすい」という部首に属している。
「水」は五行の第5。時期では冬。方位では北に当てるという。五行は、木火土金水。
WWWJDIC で夏を検索すると部首番号1の「一」と表示されている。ただ、欄の下にある「コードなど」のらんには部首番号35と表示されている。

「都合のわるいことは忘れて、都合のいいことだけおぼえてるんてすよ。ほんと 、頭にきちゃう」

「認知症はもともとそういうものです。いらない部分から順に消えていく。そのいらない部分というのは、本人が嫌っていることなんです。好きなことの記憶が書きこまれている脳の部分は、最後まで萎縮しない。それは、つまり、まだ自分を失っていない証拠です。都合のいいことだけおぼえている状態というのは、じつは、好ましい状態なんです。好きなものまで忘れるようになったら、末期だと覚悟してください。」
北國浩二著『嘘』(PHP 研究所、2011.7.22第1版第1刷)

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「励」の部首を調べると、AndroidアプリのWWWJDIC では「ノ」となってるのに 、『漢検漢字辞典』を見ると「力」になっている。

漢字の部首はわかりにくい。最近少し気にしてみる。
「励」の部首を調べると、Androidアプリの「WWWJDIC」 では「ノ」となってるのに、『漢検漢字辞典』を見ると「力」になっている。
どっちが正しいの?
『漢検漢字辞典』では部首は『康煕辞典』にそって分類したことが記されている。
「WWWJDIC」 には部首についての説明はされていないようだ。
このような違いは他にもあるのかもしれない。
「WWWJDIC」 にそのような間違い?があったとしても、筆順などを示してくれたり熟語の表示してくれたりと、辞書のないところではかなり重宝している。

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こんにゃく芋の茎が枯れて倒れた!

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昨年から作り始めたこんにゃく。
昨年は野球のボールくらいになったのが5つ。
その芋から小指大の根っこのようなものがいくつか。
掘り上げたものをことし植えていたのだが、数日前から茎が枯れて倒れた!
そろそろ芋を掘り上げる時期になったということかな?

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認知症になりやすい人っていうのはいるんですよ。・・・堅物・・・まじめすぎ る・・・。認知症は

そもそも、心や体が環境の変化に対応できなくなってできなくなって起きる。ぶっちゃけて言うと、マイナスの現実から逃れたい、という目的があるわけです。まじめな人は、あれをしなければいけない、これをしなければいけない、失敗しちゃいけない、なんて、いろいろ考えて、常にプレッシャーを感じてる。そういうことこら解放してくれるのが、認知症です。だから、認知症は人生のプレゼントだ、なんて言う人もいます。

北國浩二著『嘘』(PHP 研究所、2011.7.22第1版第1刷)

!タグ!認知症 北國浩二 嘘

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認知症の患者はね、二つのことを同時にできないんです。

きっと、湯を沸かしているときに、他のことに気持ちがいっちゃったんだなあ。そうするともう、薬缶を火にかけていることが頭から飛んじゃう。これからは、ガスの元栓を締めて出かけるようにしてください。

注意しても平然としてやってるやつだけど、これも基本的には同じことなんです。二つのことを同時にできない。つまり、相手の言い分に配慮しながら、自分の意見を言う。これは二つの異なる行為だから、できないんです。反省していないように見えるのは、病気のせいです。認知症の患者さんは、他人の話を聞かずに勝手なことばかり言う、わがままな人間だと思われてしまうが、そうじゃない。これはね、れっきとした病気の症状なんです

亀田医師が千紗子さんに説明している。

北國浩二著『嘘』(PHP 研究所、2011.7.22第1版第1刷)

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(認知症の患者さんたちは)自己を見失い、、これまでの人生も失なって、悩み 苦しんでいる。

ときにひどいことを言ったり、暴力をふるったりすることもあるが、それはね、彼らがそれだけ苦しんでいる証なんですよ。(P138)

唯一の寄る辺となるはずのじぶんじしんからも、取り残され、切り離されていく。確かなものが何ひとつない空間に、たったひとりで漂っているようなものです。あまりにも深い孤独と混沌ですよ。その不安と苛立ちのなかで、患者さんたちは日々、恐怖に直面しているんです。(P137)

北國浩二著『嘘』より。
認知症患者の孝蔵の同級生であり、医者である亀田が、孝蔵の娘千紗子に話した言葉。

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ポストカードできる。新庄村の写真教室のメンバーで美しい村連合加盟のメルヘ ンの里新庄の日常を写しました。

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ポストカードの表紙は、写真家の森本二太郎さん撮影の新庄川と新庄村役場、裏表紙にはポストカード12枚のサムネイル写真です。森本二太郎さんは写真教室のメンバーを指導してくださいました。新庄村に住む写真に関心を持ったものたちが、森本さんの指導を受けながら身の回りの新庄村を撮影しました。
「暮らしと自然を楽しむ村びとのまなざし」
ブックスタイル形式で定価800円です。
添付の写真はそのブックの表紙と裏表紙の様子です。

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散歩で出会えた犬千振(イヌセンブリ)は花の内側に長い毛がびっしり

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犬千振(イヌセンブリ)はセンブリに比べると、苦味が少なく、薬効が劣るのでこの名前になったという。
花の内側には長い白い毛がびっしりはえているので、花の見ごたえはこちらの方があるように思う。
今日、散歩で歩いていて、またこの花に出会うことができた。
犬も歩けば棒に当たる、というが、人が歩けば犬に当たった。
歩きながら、以前ここでイヌセンブリの写真を撮ったのにそれが見当たらないんだ、なんて話していたところだったので、イヌセンブリに出会えたことが、とっても嬉しかった。

生きてりゃあ、つらいときもあっけど、いいときも来っから。つらいときは笑う といい。

ひとつの嘘が新たな嘘を生む。この連鎖は気持ちのいいものではなかったが、・・・

千紗子の話を信じた老婆は、同情するようなまなざしを向けてきた。
「生きてりゃあ、つらいときもあっけど、いいときも来っから。つらいときは笑うといい。無理してでも笑ってると、しあわせがやってくる。そんなもんだ」
「そんなものですかね?」
「ほんと、ほんと。そんなもんだよ。難しいこと考えねえで、いい空気吸って、うまいもん喰って、よく寝る。そんでよく笑うこと。そうすりゃ、心も体も健康になっから」
老婆はけらけらと笑った。

北國浩二著『嘘』(2011.7.22第1版第1刷。PHP 研究所)より。

最もしてはいけないことは、何だかわかるか。失敗を恐れて何もしないことだ。

「人間は失敗する生き物だ。失敗を恐れるな。最もしてはいけないことは、何だかわかるか。失敗を恐れて何もしないことだ。」
孝蔵はシャープペンシルで角材に簡単なスケッチを描きはじめた。
「おまえはこれから成長していく。成長というのは、失敗を積み重ねていくことでもある。人間は失敗から学んで成長する。肝心なのは、失敗から学ぶことだ。失敗とは、チャンスのことだ。おぼえておけ」

北國浩二著『嘘』より。認知症の孝蔵が彫刻に興味を持ち出した拓未にむかって。

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嘘をつくことは必要だが、嘘が増えるほど、その上に築かれる人間関係が不安定 になる。

「そうね、いやなことは思い出さなくてもいいわよね」
 千紗子はほっと胸を撫で下ろした。絵本作家だから、話を創作するのは苦ではない。けれど、その嘘をひとりの人間に一生信じこませねぱならないと思うと、重圧がのしかかるのだった。
 千紗子は拓未に信頼される存在になりたかった。だから、できるだけ嘘はつきたくなかった。