AndroidアプリのDoubleShotで14ポイントほどの活字がこんなに大きく、すっきりと写った。標準アプリだと数センチメートルまでは近寄れない。
投稿者「cankeitai」のアーカイブ
ラッパ鳴る馬の鈴草パッパラパ #hana #photoikku #jhaiku
栃の実も強風に落とされて
白兎お月見しつつ母思う #photoikku #jhaiku
猫さえもまだまだきつい処暑の朝 #kigo #photoikku #jhaiku #cat #neko
褪せた色取り戻したい処暑の路 #kigo #photoikku #jhaiku #hana
あぢーよー、早く涼しくならんかな? #cat #photoikku
念佛寺の百日紅に助っ人
倉敷商業高校、高校野球で松坂高校に勝利 #neko #cat #photoikku
蒜山道の駅近くの向日葵
蒜山中学校第35回卒業生の同窓会
蒜山中学校を卒業してから15年ぶりに集まった同窓会。
蒜山高原センター向いの鼓八というお店でありました。
元生徒たちもすぐにはお互いのことがわからない様子もありました。
もちろん3クラスのうちのひとクラスを担任していた私も、それ以上にわかりませんでした。
みんなすごく成長していました。
30歳を迎え、早い生徒は小学生の子どももいるとか。
地元、県内、県外、住むところ、仕事も、抱えていることもみんな違っている者、30名ほどが集まりました。全体の約3分の1。
幹事の人たちは準備、計画など大変だったことと思います。
今回集まった人たちが、次回はまた周りの同級生を誘ってくれることでしょう。
帰り際、そこのお店で作っているケーキ土産に買って帰りました。
楽しい時間をありがとう。ブログに載せてという声を受けて、写真をアップさせていただきました。
15歳若返ることができました。
!タグ!蒜山中学校第35回生同窓会 鼓八 蒜山高原センター
松風に涼しさそよぐ心なか #hana #flower #jhaiku #photoikku
浄土より散華の如く百日紅 #hana #photoikku #jhaiku
ソーセージ調理したいよツチアケビ #hana #photoikku #jhaiku
サルナシに抗癌作用あるときく #hana #photoikku #jhaiku
お別れする人には花の名前を教えておきなさいって。花は毎年、必ず咲くからっ て。有川浩 #book #dokusyo
有川浩『三匹のおっさん ふたたび』の最後に収められている『好きだよと言えずに初恋は、』の中から。
<<<<<< 「渡し忘れたっていうより、教え損ねた。花の名前。何で教えたかったかっていうと・・・・・」 彼は少し言い淀んでから顔を上げた。 「うちのお母さんが、お別れする人には花の名前を教えておきなさいって。花は毎年、必ず咲くからって」 まっすぐに静かな眼差しを向けられて、心臓が早鐘のように鳴った。 割れそうだ。 ・・・・ (女子高に入ってから) 現国の教科書に、川端康成の『雪国』が一部抜粋で載っていた。 教師はウンチク好きで、筆者の略歴を説明するとき小話をあれこれ付け足した。 その小ネタの中に、川端康成の言葉があった。 別れる男に花の名前を一つ教えておきなさい。花は必ず毎年咲きます。 不意に苦くて甘い思い出が蘇った。 小学校の卒業間際、転校が決まっていた潤子にちっぽけな花の名前をいくつも教えた男の子。 教科書の文字か滲んだ。ページの上でパタパタと水が弾けた。 >>>>>>>
花の名前を教えることで、その花を教えた自分を思い出してもらいたい、思い出させたい、ということだろう。
まさに潤子は思い出した。好きな人だったから一生懸命に教えてくれたんだということに改めて気づいた。
いじめられている生徒がいても、周りを気にせずいじめられている生徒に関わろうとする生徒がいてくれると、いじめもなくなるのだろうに。
気づけば謝るのを憚ることはない。有川浩 #book #dokusyo
有川浩『三匹のおっさん ふたたび』2012/3/30初版。2012/4/15第3刷。文藝春秋
<<<<<<<<<< 「優雅だな、とか俺いらんこと言っちゃって。そっちは土日も働いてるんだもんな。後で貴子に話したら怒られちゃって」 悪気なく大雑把だが、気づけば謝るのを憚ることはない。そういう性格だ。 >>>>>>>>>>
健児の話を聞いて怒る妻貴子、貴子の言葉を素直に聞き、年下の康生に謝る健児、こういう人たちと関係の持てる康生。
みんなで幸せの輪を広げて確かなものにしてる。こうありたいですね。
心ない自分、心にかかるトゲ。有川浩 #book #dokusyo
有川浩『三匹のおっさん ふたたび』の一節。
<<<<<<< 自分もかつてそんなふうに慈しまれていたことが改めて思い返される。 そのたびに幼い日の心ない自分が立ち上がってきて自分を責める。それは、子供だったからと逃げを打つことが許されないような気がする心にかかるトゲだった。 >>>>>>>
自分の子供をあやしてくれている父親の姿から、自分が子供の頃そうだったということを改めて思い起こし、父親に反発したことを、心にかかるトゲと言っているのだろう。子供だからと今は逃げることもできなくなった。
このトゲはどうやったら抜けるのだろうか?抜いたあとしばらくは化膿するのだろうか?
この先が楽しみだ。
私の両親はもういなくなってしまったが、お盆を前にして心のトゲを一つでも抜いていきたいものだ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。