山中一揆・田口村(美甘村)の義民の墓(写真スライドショー)
津山藩の山中一揆鎮圧隊は、享保12年正月7日、三坂峠からの進入が不可能なことを知り、急遽、出雲街道から山中の裏側の美甘・新庄に入ってきた。田口村、現在の美甘村田口で一揆の指導者である長右衛門と三郎右衛門の二人を捕らえ、夕刻、新庄村に入った。
一揆勢が立ち直りの兆しを見せてきたのを感じた、三木・山田の両代官は、12日夜、この二人を新庄村で捕らえた2人と共に、新庄の今井河原で処刑し、その首を首切り峠などにさらして農民たちを恐れさせようとした。