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山中一揆〜田部(たべ)義民の石碑(写真スライドショー)



田部義民の墓【蒜山教育事務組合教育委員会指定 史跡】

1726年(享保11年)の暮れから翌年にかけて、津山松平藩領で起こった百姓一揆=山中一揆(一揆の主勢力が、現在の真庭郡内の旭川上流地域を山中地方と呼んでいたのでこの名がついた。)で、この一揆の指導者の一人である大森の七左衛門のもと、苛酷な藩政に抵抗して生活を守るために西茅部村を中心に立ち上がった青壮年者の中で、処刑された犠牲者20人の墓である。当初からこの場所にあったのではなく後に徐々に集められたものと伝えられている。