今回は、「潤す」ということでお話をさせていただきたいと思います。サンズイのない「閏」という文字は、旧暦でいう閏月というふうに使いますね。暦からはみ出た「うるう」の時、王が門内に閉じこもって静養するさまを示した文字だそうです。じわじわと暦の計算の外にはみ出てきた日月のことで、サンズイのつく「潤」はじわじわとしみ出で余分にはみ出る水分のことです。「潤す」という言葉から何を連想されるでしょうか。のどを潤すといえば、暑い夏はもちろん、「冷たいお茶」、ではなくて、「生ビール」でしょうか。多くの方が生ビールですね。冷たいお茶というのは私だけでしょうか?また「肌を潤す」という言い方もしますね。これは女性ですかね。肌を潤す化粧品、保水液とかなんとかCMもあるようです。「髪を潤す」トリートメントは、私にはもうすでに必要がないです。また「心を潤す」といえば、音楽であったり、読書であったりします。いろいろ「潤す」という言葉が使われています。土地を潤すのは雨です。適度のちょうど良い量の雨です。少なすぎてもいけないし、もちろん多すぎてもいけない。ところが今年は平年とはずいぶん違っています。

今年は梅雨から今までの間、本当によく雨が降り続きました。梅雨が明けたと宣言されてからも雨ばかり。夏らしい天気になっアカバナ (赤花) たのが3日ほどしかなかったように思います。8月9日に発生した台風9号、「アータウ」という名前で、「嵐雲(Etau、アメリカの提案名)」(台風の番号と名前)という意味だそうですが、この影響で、兵庫県佐用町などでは作用川の水位が最高水位よりも1.7mも高い8.4mまで上昇し氾濫したそうです。川の石が押し流され土砂崩れなどで木なども流され、下流の橋や堤防や道路、そして家までも流していくのです。ひざ下までの水位でも秒速1mの水流つまり毎分で60mのスピードの流れであれば大人でも流されてしまうといいます。この9号台風は3日と18時間の寿命ながら、死者・行方不明者合わせて30名にも及ぶ大きな被害が、おきました。ご冥福を祈りたいと思います。

雨が降らないと作物は育ちません。降りすぎても米や野菜が不作となる。自然を人間はコントロールすることができません。コントロールはできないけど、自然を壊してしまうことはやってしまっているようです。植林によって雨水が一気に川へ流れ込むようになったとか、地球温暖化によって竜巻だとか集中豪雨が増えてきたとか、そのようなことが言われております。過ぎたるは及ばざるがごとし、とでもいうのでしょうね。

ヌマトラノオ (沼虎の尾)

植物にも、アカバナだとかヌマトラノオだとか、湿地を好む植物もあれば、そうでないものもあります。(花については、本サイト内の花の写真pHOTo検索30で検索してみてください。)

人間の体の中にも川の流れのようなものがあります。血管です。川の堤防ではありませんが、この血管に少しでも「欠陥」があれば、すみません、すぐおやじギャグが出てしまいます。つまり血管の薄くなっている部分があったり、弱く脆くなっている部分があれば、脳内出血 (のうないしゅっけつ) または脳溢血 (のういっけつ) と呼ばれる死亡率も高い病気になります。高血圧を原因としたり、その他、喫煙、糖尿病、動脈硬化症、種々の出血性疾患がもとで発症するようです。成人一人の血管をつなぎ合わせると10万kmつまり地球の赤道の約2.5倍にもなるそうです。たった一人の血管を一本の管にして10万キロmです。驚きですね。心臓から動脈をとおって血液を送り出し、静脈をとおって心臓にもどってきます。その血液の量は人の体重の7〜8%を占めているそうです。ですから体重70kgであれば、約5kgは血液が占めているということになります。心臓が1回ドクンと打てば血液が70ml押し出されるそうです。大正製薬の「ファイト 一発!」のCMで栄養ドリンクの50%のシェアを持つ「リポビタンD」が100mlですから、心臓が3回動けば「ファイト一発」が2本分ということになるのでしょうか。心拍数が成人で1分間に70回ですから、70ml×70回/分=4.9l/分となり、大体安静時には1分間で人間の体の血液が一巡するということになります。1分間で10万kmを移動していヌマトラノオ (沼虎の尾) る。洪水の流れどころではありません。その強い流れを血管が川の頑丈な堤防のようにして流しているのです。大事にしないといけません。人間の体内の中ではものすごいことが、私たちの意識していないうちに行われているわけです。

今回の念佛寺寺報「摂取」第29号には、「乃至群生普潤」という言葉を取り上げております。そこには「群生」は一般的には土地に生える植物などのことですが、仏の教えの中では多くの生類、世に生を受けた者、人々、つまり衆生のことです。「潤」はうるおす、恵みを施すことですから、仏の教えは一切衆生に至るまで、あまねく利益の恵みを施し極楽浄土に導いてくださる、ということだと書いております。

「富潤屋、徳潤身」という言葉が、儒教の経典のひとつである「大学」の中にあります。「富は家を潤し、徳は身を潤す」と。私たちは、仏さまの前で南無阿弥陀仏の念仏を唱えることにより、仏の教えが少しずつ、私たちの心にしみこんでいくわけです。それは決して私たちを押し流すこともなく、じわりじわりと体や心の中にしみこんでいって、私たちの心を「潤し」てくださるのです。煩悩の大きな塊が堤防を壊すこともなく、私たちは仏の教えの道、仏道を歩んでいくことができるのです。南無阿弥陀仏の7音、6文字が力強い堤防となって煩悩や迷い、悩みなどから私たちを守ってくださるのです。極楽浄土へ続く潤いのある道でもあるのです。これからもこの南無阿弥陀仏の念仏の声を度重ね、念仏の堤防をより強くしてわが浄土への道を安全で安心なものにしていきましょう。

最後にもう十回の念仏を唱えて終わりにいたしましょう。同唱十念。