本日は、念佛寺施餓鬼会にようこそおいで下さいました。境内に入って来られるときにご覧いただいたように、今年の百日紅(さるすべり)の花は見事に咲きました。4月に福楽(ふくら)商店という衰弱した樹木の再生を行う業者に治療を施していただいたのが、よかったようです。よく咲いた百日紅をご覧になり、渡辺さんが次のような俳句を色紙にされて昨日もっていらっしゃいました。

さるすべり 寺の下より 水分かれ  さん十

百日紅の木も一本の幹から次々と枝分かれして花をつけている。幹の下もまたたくさんの根に分かれている。川の水も百日紅の木の下から三方向に分かれて街の中を流れて、鯉や私たちの生活に役立ち、生かしている。私たちは生かされている。

赤い百日紅の花の下でお地蔵さまも喜んでいらっしゃるようです。

お地蔵さまは、地蔵菩薩といい、衆生が生前の業によって六道で生死を繰り返す迷いの世界から教化救済してくださるのです。とくに地獄での苦しみや、賽の河原で親よりさきに亡くなり親を苦しめたとして鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りをしている子どもの救済などをしてくださるのです。地蔵菩薩には延命とか子育てとか火除けとか雨降り・雨止めなどたくさんの力があるようで100種類ほどの名前がつけられているといわれています。念佛寺の境内のお地蔵さまは、胸の前で両手でおむすびのようなものを持たれていらっしゃいます。これは如意宝珠と言って、「意のままに様々な願いをかなえる宝」をお持ちになっているのです。

また地蔵菩薩の足元は餓鬼界への入り口が開いていて、生前嘘をついた罪で餓鬼界に落ちた者たちは、飲食物を食べようと口を開けても炎をあげて燃え尽きてしまい、飲み食いができません。しかし、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、しばらく苦しみが途切れます。この間に経文を聞かせると救われるということで、成仏を願う施餓鬼会の法要と繋がっているのです。

地蔵菩薩の持ち物として、錫杖(しゃくじょう)という杖があります。背丈ほどの長さの杖の上にいくつかの輪がつけられ振ると音が出ます。僧が山野遊行のときに、この錫杖をつきながら歩くことで、地上の生き物をよけさせ、無駄な殺生をすることなく歩くことができます。もちろん、毒蛇や獣から自分の身を守るという意味もあったでしょう。さらに托鉢の際には家の前で打ち鳴らすことにより来訪を知らせる意味もあります。

この写真をご覧ください。これは「山の神の錫杖」とか「狐の錫杖」という別名があるくらいで、形が地蔵さまが持つ錫杖に似ているところからつけられました。ラン科の植物で、実の形がアケビに似ているから、ツチアケビ(土木通)と呼ばれています。数日前に初めて芦川さんに案内していただいてみたものです。山地の樹林の中に生える多年草で、ナラタケの菌糸と共生しています。高さ50cm〜1mで6〜7月に花をつけ、秋に真っ赤に熟す果実はウィンナーソーセージにそっくりで、茎いっぱいにぶら下がってつきます。果実が10cmほどの長さになっています。

「札幌の自然日記」という http://blogs.yahoo.co.jp/teiiey/26681854.html のサイトには「ツチアケビ」について次のように説明してあります。

ツチアケビがナラタケの菌に寄生して、その菌から養分を吸い取って生長する。ツチアケビの太い根の表面にナラタケの菌が寄生して、菌糸が根の中に侵入します。通常は、ナラタケの菌糸は侵入した樹木やその根の中で増殖して養分を貯め込み、さらに増殖してキノコを発生させますが、その過程で、侵入された木は養分を吸い取られて枯れてしまいます。

ウィキペディアによると、ナラタケの寄生による病害は「ならたけ病」と呼ばれ、リンゴ、ナシ、モモ、ブドウ、クリなどの果樹、サクラやナラ類などの木本類、ジャガイモ、ニンジンなどでの発生が報告されているそうです。

ところが、ツチアケビは、根に侵入したナラタケ菌糸が増殖して十分に養分を貯め込んだところで逆襲に出るのです。根の細胞が変化して菌糸を取り囲み、それを溶かして、ツチアケビの養分として吸収してしまうというわけです。

つまり、ツチアケビはナラタケ菌に攻撃されたふりをしていますが、調子に乗った菌が増殖したとたんに、それを食べてしまうということなのです。植物の智慧はすごいですね。ラン科の植物は、いろんな菌と共生して菌から養分を得ているのですが、ツチアケビは一方的に菌を利用しているのです。ナラタケ菌は弱った木に取り憑いて枯らしてしまう恐ろしい菌でもありますが、それをまた利用するツチアケビもあるわけです。

自然界にはこのように共生して、自分の命を他の生物にバトンタッチしてその生物を救っていくということがよくあるようです。共に生きているんですね。

でもこの共に生きるというのは、植物ばかりではありません。肉食獣でも、そして私たち人間もそうです。人間は一人で生きているようですが、多くの他の命を受けながら命を受け継いでいるのです。その中で作物をつくり、家畜を飼い、自分たちの命の糧としていただく。だから食べる前に両手を合わせて「いただきます」とあいさつするのです。食事をつくってくださった方への感謝、食材を育ててくださった方への感謝、そして食材(家畜や魚や野菜など)の生命を私たちがまさに取り込んで、我が生命への糧にさせていただくことへの感謝をこめて「いただきます」のあいさつをするのです。それらの食材は私たちの身体の中で生きているのです。みんな共に生きているのです。

いま私たちは、ご先祖様から頂いた命を大切に受け継ぎ、次の世代にバトンタッチをしようとしているわけです。こうして今は亡きご先祖様の供養をすることにより、先人の知恵を受け継いでいる。ナラタケ菌を命の糧にしているツチアケビのように、ご先祖様がいなければ今の私たちもいないわけです。私たちが南無阿弥陀佛の高声念仏を行いご先祖様を思い浮かべる限りご先祖様も生きていらっしゃるし、私たちにこうした方がいいのではと進む道も示してくださることだと思います。亡くなった方も私たちも「共に生きる」という「ともいき」の状態が続いていくわけです。

最後にもう一度手を合わせ、もう10回の念仏を皆さん方と称えて、ご先祖に感謝し供養を行う念佛寺施餓鬼法要を終えたいと思います。御唱和ください。

如来大慈悲哀愍護念。同唱十念。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。