平成22年念佛寺盆施餓鬼会にようこそおいでくださいました。 本日は、「へそくりのすすめ」ということをテーマにお話をさせていただきたいと思います。本日おいでのみなさまは、幸せです。「聞いて損がない」どころか、大きな得を得ることができます。でもこう言いますと、お寺の住職がお施餓鬼の法話の中で「へそくりのすすめ」なんてするなんて、不謹慎極まりない、と思われそうですが、しばらくお付き合いください。 みなさんの中でへそくりをされている方はどのくらいいらっしゃいますか?ちょっと手を挙げてみてください。 おや、どなたも手が上がらない。きっとみなさん、へそくりをされているということでしょうね。 へそくりって、人に教えないからへそくりなんでしょうから。
「へそくり」を辞典で調べますと、「臍繰」と書き、内職の綜麻(へそ、麻糸を巻きつけた糸巻き)でためたお金をのことであるとか、腹に巻きつけておいたお金であるところから、「へそくり」というのだと、小学館の日本国語大辞典に出ておりました。これで2つの方法をお伝えしました。 まだ、法話には遠いですね。一体どうなるのでしょう。
稲垣栄洋(ひでひろ)さんの「身近な雑草のゆかいな生き方」という本を読んでおりますと、畑や墓地などでよく見るスギナの項目がありました。副題は「地獄の底からよみがえった雑草」とありました。つくしはかわいがられるのに、一つの植物でありながら、スギナは嫌われます。つくしの穂には200万もの小さな胞子が入っているそうです。それで増える。またスギナは千切れた茎からまた増える。原子爆弾を落とされ、緑が戻るまでに50年はかかると言われていた中で、真っ先に緑を取り戻したのがスギナだったとも言われます。スギナの根茎は地中深くまで縦横無尽に張り巡らされており、地の底まで伸びて閻魔大王の囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)になっているともいわれています、と書いてありました。
さてへそくりに話を戻します。
この写真をご覧ください。みなさんもよくご存じのことと思います。カラスビシャク、漢字で「烏柄杓」と書きます。この黒っぽいひしゃくのようになった中に花の穂があります。この植物を見ると蛇でも出てくるのではないかといつもびくびくしていたことを思い出します。この花は腐った肉のような特殊なにおいを出しハエを呼び寄せます。花の中の匂いと暖かさの中にハエが入ると、後戻りできない。でもしばらくすると雄花が咲きだし、一筋の光明が差し込んできます。花の下にかすかな隙間ができ、光を頼りにもがきながら脱出し、「助かった!やれやれ」とハエは言います。でもその体には花粉がいっぱいつき、別のカラスビシャクの雌花に花粉を付けることになります。一筋の光明をもたらすのが写真のこの開いた部分です。この柄杓のような形の部分を、植物の方では「仏炎苞」といいます。
念佛寺御本尊の阿弥陀仏をご覧ください。阿弥陀仏の後ろの部分が炎の形に作られています。これを「後光(ごこう)」といいます。仏の背中から放射される光のことで「光背(こうはい)」はそれをかたどったものです。その形に似ているところから「仏炎苞」といい、マムシグサ、ザゼンソウなども同じような種類です。
このカラスビシャクは畑に生えだすと、穂のところに実をつけるだけでなく、葉っぱの途中にもむかごを作ります。こうして次々に広がっていきます。根は球茎で多年草として毎年出てきます。有毒植物ですが、この丸い茎を「ハンゲ(半夏)」と漢方(参考になるページ:タケダ健康サイト ,漢方ナビ ,飯塚病院漢方診療科)では呼び、根を乾燥させて嘔吐止め、咳止め、解熱、脚気、腎臓炎、つわりなどの薬として用いるそうです。この芋はちょうど栗の実のような形でもあり、茎がとれたくぼみがへそのように見えるので、「へそ栗」という別名もあります。農家の主婦は畑で草むしりをしながら、この「へそ栗」を薬屋へ売って小銭稼ぎをしていたと言います。ここから「へそくり」の語源となったと、稲垣さんの本に書いてありました。茎の途中や葉の先端などにこっそりむかごをつけるというのも、別の場所に小銭を蓄えることと似ているようですね。
また字は異なりますが、同じ音の「半偈(はんげ)」という言葉があります。これは偈文(げもん)の半分のことで、普通には涅槃経(ねはんぎょう)というお経にある
「諸行無常(しょぎょむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめつい)
寂滅為楽(じゃくめついらく)」
の後半の偈8字をいいます。お釈迦さまが雪山童子(せっせんどうじ)として菩薩の行を修めていた時、帝釈天が「羅刹(らせつ)」という人の肉を食う凶暴な悪鬼に変じて現れ、前の半偈を唱えました。それを聞いたお釈迦様は歓喜し、後の半偈も聞こうとしましたが羅刹は語りませんでした。そこでお釈迦様は自分の身を羅刹に与えることを約束して聞くことができたと言われています。この偈文は「もろもろのつくられたもの一切は無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じては滅びる。それらの静まることが安楽である。」という意味です。いろは歌はこの4句を、「色は匂へど散りぬるを(諸行無常)、わが世たれぞ常ならむ(是生滅法)、有為の奥山けふ越えて(生滅滅已)、浅き夢みじ酔ひもせず(寂滅為楽)」と詠んだものです。
旧暦の4月16日から7月15日までの90日にわたるインドの雨季の時期を安居と言い、この期間を一夏(いちげ)といい修行の時期ともされています。その中間を半夏(はんげ)といい、今年の半夏は7月2日でした。苦しんでいる亡者を救うために行う盂蘭盆会は7月15日(全国的には8月13日から15日をお盆として休みになる会社も多いですが)と安居の最終日と日にちが重なるようですね。
ひと夏の一夏(いちげ)の期間のほぼ終わるこのとき、みなさまとともに「カラスビシャク」の根っこである「ハンゲ」が「へそ栗」の語源でもあり、体にも良い薬であり、それによってへそくりもできた。偈文の「半偈(ハンゲ)」である生滅滅已・寂滅為楽を知り、「生じては滅びる。それらの静まる事が安楽である。」という、仏の教えに出会うことができました。この世を去り、南無阿弥陀佛の称名により何の苦しみもない楽の極みである西方極楽浄土に往生できることを知る私たちにとって、これほどの得はないのです。へそくりをすすめてみましたが、このへそくりは隠す必要もありません。だれからも奪われることはありませんし、減ることもありません。周りの人に、へそくり、ハンゲの話を広めていただきたいと思います。これからもご先祖様の供養とともに私たちもどうぞ極楽浄土にお導きいただけるように、南無阿弥陀佛の念仏を十回唱えて終わりにいたしましょう。 如来大慈悲哀愍護念 同唱十念。