本日はお忙しい中、念佛寺施餓鬼会にご参詣いただきありがとうございます。

先月の西日本豪雨により、7月7日には倉敷真備町は高梁川に流れる支流の小田川の堤防が決壊するということで、町の四分の一、世帯8,715のうち4,600棟の世帯が浸水、2,100棟を全壊と判定するという記事も出ていました。浸水のひどいところは5m以上にも達したとの報道もあります。土砂災害に見舞われた広島県の死者114人をはじめ、岡山県で64人、愛媛県で27人ほか、全国で220人にもなっているようです。皆様とともにご冥福を祈りたいものです。

さて、皆様も教育委員会発行の「新庄村の石造文化財」の本をお持ちだろうと思います。この冊子の中に念佛寺周囲の石造物も掲載されています。今日はこの中の地蔵菩薩についてお話をしてみたいと思います。境内に上がるとすぐにこのお地蔵さんが私達を見てくださっています。赤い頭巾に赤い前掛けをかけています。鍛冶屋の佐藤愛樹さんが長年新しいものをつけてくださっていましたが、お亡くなりになって以降、私の妻の由美子が色あせたら新しいものにしております。世の中の子どもなど弱い者を救ってくださる仏様と言われています。先程の「石造物」の冊子の中にお地蔵様の写真と「法界 寛政12年(1800年)申正月」と記載されています。

「新庄村石造物」冊子の地蔵菩薩
▲新庄村教育委員会発行「新庄村の石造文化財ー地蔵菩薩」▲

そこで、次にこれを御覧いただきたいと思います。地蔵菩薩の台座の拓本です。今回私自身初めて拓本をとるということを行ってみました。いままで拓本などしたこともないので、ネット社会でいろいろな情報が提供されている「You Tube」に載っている拓本のとり方を参考にして、まずは身近なものからと考えてお地蔵様にしました。一つは先の冊子の中にも文字はあるけど読めなくて「□□」と表示されていたので、実際どうなのだろうかと思ったこと、次に台座はそれほど大きくもなく、なにせ敷地内にあるからなにか必要になってもすぐ対応できるという事がありました。

「念佛寺地蔵菩薩拓本」
▲摂取山念佛寺境内「地蔵菩薩台座の拓本」▲

水で濡らしたタオルで用紙を台座に貼り付けていきます。そのあと、タンポで墨を少しずつ付けていきます。ポン・ポン・ポンとつけていくたびに、それまでよくわからなかった文字が少しずつ白く浮かび上がってきます。長年の風雪・風雨で小さな凸凹になっている石の表面から彫り刻まれた文字が浮かび上がってくるのです。拓本を採ってみて新たにわかったことがあります。冊子には「正月」とありますが、そうではなく「四月」のようです。正面の「法界」、これは「ほっかい」とか「ほうかい」と読みますが、その横に「町内安全」と記されていました。また台座が少し土に埋まっており、最後まで写し取れませんでしたが、「施主 伊藤房右衛門」の名前も新たにわかりました。建立の6年後の文化3年に「鞆屋房右衛門」という方がなくなっているのが過去帳で確認できました。おそらくこの方でしょう。江戸時代の町並みの図面の中にも「鞆屋」の記載を読み取ることもできました。そして江戸末期の安政の頃の過去帳には「トモヤこと伊藤〇〇」との記載も見えました。この伊藤さんが町内の方々の幸せを願ってお地蔵菩薩を建立されたのです。涼しくなる秋にでもまた拓本を取り直してみたいものです。

正面に刻まれている「法界」(ほうかい、ほっかい)の意味は、一口で言えば、「全宇宙」とか「真理」ということです。全宇宙はすべての存在が互いにおかしあうことなく秩序を保って存在するから「法界」とよび、また全宇宙は正しく「真理」、言い換えれば「法」の現れであるから「法界」というのです。観無量寿経の第八観に「諸仏如来、是法界身、入一切衆生、心想中、是故汝等、心想仏時、是心即是、三十二相、八十随形好、是心作仏、是心是仏」ともあり、「諸仏如来はこれあらゆる世界に遍満する法界身なり。一切衆生の心想の中に入り給う。このゆえに汝ら、心に佛を想う時、この心すなわちこれ三十二相八十随形好なり。この心は佛を作る、この心これ佛なり。」というように説かれています。

本日お集まりの方々のも今まで過ごされた何十年もの年月で、自分の記憶、ご先祖様についての記憶も印象深いところや、日常生活のあれこれでついつい薄れていってるところもあるのではないでしょうか。石造物の拓本を取るように、塵や苔を刷毛で落とし、タンポで少しずつポン・ポン・ポンと記憶の溝を浮かび上がらせてみるのもいいのではないでしょうか。薄れていた、あるいは消えていた記憶の文字が浮かび上がってくることでしょう。

以上で本日の施餓鬼会の法話とさせていただき、最後に十念を唱えて終わりとしたいと思います。それでは皆様、両手を合わせて合掌してください。

如来大慈悲哀愍護念、同称十念。