ほうほう蛍来い。あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ。ほうほう蛍来い。
みなさん、本日は暑い日が続いている中、またお忙しい中、念佛寺の施餓鬼会に御参詣くださりありがとうございます。甘い水までもうしばらくの時間をいただきます。先程の歌はみなさんも昔、唄ったことがあるのではないでしょうか。今年、新庄村の自然環境にかかわる「蛍調査」が行われました。これを機会に私も今まで蛍刈りをしたことのない場所に足を運んでみました。鍛冶屋裏の新庄川には50匹を越えるゲンジボタルがゆったりと飛び、梨瀬の新庄川では何匹ものゲンジボタルが戯れるように飛び、土用ダムの下池ではヒメボタル(金ボタル)がたくさんチカチカと明滅していました。うっかりライトを照らして写真マニアの罵声を浴びてすごすごと引き返した方もあるという女滝では、ライトをつけずにもたもたしていたら、写真マニアの方が滝付近まで親切に案内してくださいました。3日目だという岡山から来られたマニアの方は「3日前はゲンジボタルがたくさん飛んでいましたよ。今日はもう終わりなのか4,5匹が高い所を飛んでいます。でもヒメボタルも両岸を飛んでいます」などと説明までしてくださいました。村内にもまだまだ沢山の蛍が飛んでいることを実感できた夏となりました。
明治時代、東京ではドイツ製の50Hz、大阪ではアメリカ製の60Hzの周波数となる発電機が導入され日本でも電気が使われるようになっていきました。1秒間に50回とか60回、プラスとマイナスが入れ替わって交流電気となるのです。大阪人は東京の人よりもせっかちな人が多いなどともいわれます。蛍の光る間隔は西日本では約2秒に1回、東日本はこの倍の約4秒に1回と長いそうです。ちなみに発電の境になる新潟県・長野県・静岡県では約3秒に1回だそうです。電気の周波数と対応しているのが何とも不思議です。
相手を見つけるために熱のない光を発し、メスは約500個の卵を川岸の湿った苔に産みつけます。約一月で孵化して幼虫となり川底の小石の下などに滑り込み、カワニナなどを食べて栄養をつけます。冬はそのまま冬眠し、春になって気温が上がり水温との差がなくなる桜の咲くころの雨の降る夜、岸辺に這い上がり土の中に潜って繭を作り、約40日をじっと過し、サナギを経て2週間ほどで成虫になっていきます。幼虫の時の栄養だけで過ごす蛍の口は水を飲むだけの機能しか残されていません。卵からずっと光を放ち続け、オスの蛍は6日、メスは12日という寿命ののち死を迎えていきます。
古代の中国や日本ではこの蛍の光を死者の霊魂とか悪霊のようにとらえられていました。7世紀の唐の時代あたりから、雨の中でも光ることから君主に仕える忠実な家臣にたとえられたり、「蛍の光、窓の雪」の歌ともなる刻苦勉励や、「ある寂しい情景や孤独感を表す」詩が作られていきます。日本でも平安時代には「おともせで思ひにもゆる蛍こそ なく虫よりも哀れなりけれ」と恋に身を焦がす姿を蛍に託すようになっていきます。現代でも野坂昭如さんの直木賞作品である「火垂るの墓」では終戦前後の兄と妹が描かれ、衰弱死した兄が持っていたドロップ缶が駅員に投げ捨てられると、妹の遺骨がこぼれ散りその周りを蛍が飛び回っていました。妹が好きだった蛍に彼女の霊魂が乗り移ったかのように描かれ、悲しくも感動的な作品でした。
暗闇で光る小さな明かりは私たちをゆったりとさせてくれ、その輝きに引き寄せられます。浄土宗の無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の中にはアミターバ「無限の光」をもつ無量光佛、アミターユス「無限の寿命」をもつ無量寿仏として阿弥陀佛が描かれ、極楽浄土の世界が説かれています。阿弥陀佛の光明は、十方の無数の仏様たちの世界を隅なく照らし、私たちの南無阿弥陀佛の御念仏の声と強く結び付き、私たちを極楽浄土に導いてくださるのです。さまざまな苦しみや悩みもこの阿弥陀佛の光明に身をゆだねることにより、苦しみもない楽しみの極みの極楽の世界に導かれていくのです。これからも南無阿弥陀佛の念仏の声とともに過ごしてまいりたいものです。
本日の法話の最後に、このたび念佛寺の総代として2名の方に加わっていただくことになりました。山田晴雄さんと深井義明さんです。檀家のみなさんとともに念佛寺の護持、住職へのお力添えをいただきますようよろしくお願いし、みなさま方への御紹介とさせていただきます。
最後に皆さまとともに御十念を称えて終わりにさせていただきます。
如来大慈悲哀愍護念、同唱十念。
「南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛」
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6月ごろ羽化した成虫の蛍が交尾し、卵をうむ。孵化した幼虫は2mmほど。カワニナやタニシを食べて成長し、脱皮を繰り返す。3回ほど繰り返すとゲンジボタルの幼虫は2cm余りになる。蛍は卵の時も幼虫の時もサナギの時も光る。生まれてから死ぬまで光っている。冬になると幼虫は水の中で冬眠状態になり光らない。春の桜が満開になる頃、雨の降る夜に、光りながら水の中から地上に這い上がって来て、土の中に潜ってサナギになる。初夏になるとサナギから成虫が姿を現し、私たちの目を楽しませてくれる。成虫になる直前のサナギはひときわ強い光を放つ。そして次の子孫を残して一生を終える。(以上、「ほたるの一生」
「ホタル基礎知識」によると、ゲンジボタルは川岸の苔の生えた湿気た岩場などで産卵し、0.5mmほどの淡い黄色の球形の卵を500個ほど産卵します。20日ほどで黒色に変わり、約30日で孵化する。孵化した幼虫は直ちに地表から流れのある水中の小石の下などに潜り込み、夜になると川底を歩きカワニナなどをあさる。治気温が上昇して水温との差がなくなる頃、小雨の降る4月末の午後7時以降、川の岸辺に這い上がる。そして土中に土の繭を作り、約40日間、じっとし、そのうち脱皮して蛹になる。サナギも5日ほどすると複眼や足が黒化し11~14日経つと脱皮して成虫になる。羽化した成虫は体が柔らかいため2日間は地中にとどまり、固くなってから土を押し上げて岸の地上に現れる。ホタルの成虫は口器が退化して水以外のものは摂れない。幼虫の時に食べたカワニナの栄養分だけで生き続けるのです。明るい間は高木の葉裏や草むらに潜んで夜になると活動し、発行の信号によってオス、メスのコミュニケーションをしているのです。ゲンジボタルの寿命は。オスが6日、メスは12日前後です。
「世界の民謡・童謡 ほたるこい」によると
「ほう ほう ほたる こい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほう ほう ほたる こい」
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ほ ほ ほたるこい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほ ほ ほたるこい
ほ ほ やまみちこい
ほたるのおとさん かねもちだ
どうりで おしりが ぴかぴかだ
ほ ほ ほたるこい
やまみちこい
ひるまは くさばの つゆのかげ
よるは ぽんぽん たかじょうちん
天じくあがり したれば
つんばくろに さらわれべ
ほ ほ ほたるこい
あっちのみずは にがいぞ
ほ ほ ほたるこい
こっちのみずは あまいぞ
ほ ほ ほたるこい
ほ ほ やまみちこい
あんどのひかりを ちょとみてこい
ほ ほ ほたるこい
ほ ほ やまみちこい
ほ ほ ほ ほ ほ ほ ほ
ホー ホー 蛍こい
あっちの水は 苦いぞ
こっちの水は 甘いぞ
ホー ホー 蛍こい
山路 こい
行燈の光で またこいこい
1、ほう ほう ほたるこい あっちの水は にがいぞ
こっちの水は あまいいぞ ほう ほう ほたるこい
2、ほう ほう ほたるこい ちいさなちょうちん さげてこい
星の数ほど とんでこい ほう ほう ほたるこい
ほう ほう ほたるこい
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「世界の民謡・童謡 ほたるこい」コラム:東西で光る間隔が違う?西のホタルはせっかち?
蛍の光と書く蛍光灯の電源は、東日本では50Hz 、西日本は60hz。明治時代の発電機が、東京はドイツ製の50Hz、大坂ではアメリカ製の60Hzだったから。Hzとは1秒間にプラスとマイナスが入れ替わる回数のことで西日本の方が、周波数が早いということです。これと似たことが蛍の世界でも起こっている。東日本の蛍は約4秒に1回だが、西日本ではその2倍速く、何と2秒に1回発光している。よく関西人は関東に比べて「せっかち」とか「歩くスピードが速い」とか「気が短い」といわれるが、偶然にも蛍の光り方と一致しているところが興味深い。中間地点の静岡県、長野県、新潟県などの蛍は3秒前後の間隔で点滅するようだ。
川ばかり闇はながれて蛍かな 加賀千代女(若年時の「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の心優しさで世に知られ)
かたまるや散るや蛍の川の上 夏目漱石
死なうかと囁かれしは蛍の夜 鈴木真砂女
蛍火や仏に問ひてみたきこと 鈴木真砂女
中国古代、紀元前の前漢にまとめられた「礼記」では蛍は「腐草の変化して生まれた虫」「鬼火」という薄気味悪いイメージであった。中国最古の詩篇「詩経」(後漢)のころになると雨の中でも光る「賢臣」の喩にされる。
7世の唐の時代の「晋書」には「蛍の光、窓の雪」のように勉学を励む喩にされるとともに、蛍の美しさが意識され、かぼそく小さいその光は物思いにふける女性にふさわしい風物となっている。唐代の杜甫など多くの詩人は蛍を「ある寂しい情景や孤独感を表す心象風景の一つ」として詠まれている。
中国の影響を受けている万葉集には「蛍なすほのかに聞きて」と「ほのか」の枕詞になっている例(3344)があるが風物としては捕えられていない。
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訓読 この月は 君来(き)まさむと 大船の 思ひ頼みて 何時(いつ)しかと 吾が待ち居れば 黄葉(もみちは)の 過ぎてい行くと 玉梓の 使(つかひ)の言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大士(みほとけ)を 太穂(ふとほ)と立てて 立ちて居(ゐ)て 行方(ゆくへ)も知らず 朝霧の 思ひ迷ひて 杖(つゑ)足らず 八尺(やさか)の嘆(なげ)き 嘆けども 験(しるし)を無(な)みと 何処(いづく)にか 君が坐(ま)さむと 天雲の 行きのまにまに 射(い)ゆ鹿猪(しし)の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ
私訳 この月こそは貴方は還って来られると大船のように信頼して思い込んで、何時還って来られるのでしょうと私が待っていれば、貴方は黄葉のようにこの世から過ぎて行かれたと、使者の印の立派な梓の杖を持つ使いが云うのを蛍の光のようにぼんやりと聞いて、観音菩薩を貴く立派に立て、御仏に頼るのに立っても座っても、どうすれば良いか判らず、朝霧に道を迷うように思い迷い、貴方が亡くなられたと云う、ひと杖に二尺足りない八尺(八坂)の嘆きを嘆くのだが甲斐がないので、どこに貴方がいらっしゃるのかと天雲が流れ逝くまにまに、貴方を尋ねていって矢に射られた鹿や猪のように狂ったように走り死のうと思っても、尋ねる先の道を知らないので、私一人で暮らすに貴方を恋しく想い、恨めしく泣いてしまう。
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「日本書紀」の「神代」下には、高天の原から地上を見下ろした情景に「ソノクニホタルニノカガヤクカミサハリニアリ(彼地多有蛍火神)」とあり邪悪、不気味なイメージに通じる。
平安朝の「古今集」(562)に「夕されば蛍よりけにもゆれども光みねばや人のつれなき」、「詞花和歌集」(71)には「なく聲も聞えぬものの戀しきは忍びにもゆる蛍なるけり」、「後拾遺集」(217)の「おともせで思ひにもゆる蛍こそなく蟲よりも哀れなりけれ」というように恋の思いに身を焼くがために光る蛍という発想が見える。
日本にも蛍を魂とみる説は伝説のほか、「源氏物語」のなかで幻で光源氏が今は亡き紫の上を偲び、「夜を知る蛍を見ても悲しきはときぞともなき思ひなりけり」という蛍から死者を思う例である。
(古典:読み解き / 古文:文章の訳/読み解き)枕草子の冒頭『春はあけぼのやうやう白く~』の現代語訳には「春はあけぼの~」に続いて
「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。」
【現代語訳】夏は夜がいい。月が輝いている時間帯は言うまでもなく、闇(月が登っていない)のときでも、蛍が多く飛んでいるのがいい。また、たくさん飛び交ってはいなくても、蛍が一匹二匹とほのかに光って飛んでいるのも趣がある。雨が降っているときも趣がある。