念佛寺内陣を飾る蓮の花…金盛氏より

この夏の暑さは半端ではないですね。先程、先祖供養をさせていただきました。今年平成27年、西暦2015年は、太平洋戦争後70年に当たります。多くの兵隊・民間人の犠牲の上に今があるわけです。今年、安倍晋三内閣のもと安保関連法案が7月15日衆議院で可決され、参議院に回っています。戦争に巻き込まれる危険性が高まるのではという懸念もあります。

さて、70年前に広島に原爆が投下された8月6日、今年は高校野球が始まりました。甲子園の高校野球が大正4年1915年に始まり100周年記念の大会でもあるそうですが、この大会は第97回全国高等学校野球選手権大会です。100回ではないのです。太平洋戦争まっただ中の1942年から45年は中止されていたのです。太平洋戦争の始まる41年も地方大会が途中で中止になっていますが回数だけはカウントされています。42年は夏の甲子園には刻まれない「幻の甲子園」大会が文部省主催で開催されています。朝日新聞社から示された大会の回数、優勝旗の提案は却下され、戦時下の特別ルールで行われています。参加したのは16チーム、決勝戦では徳島商業が京都・平安中学を破って優勝しています。この大会での特別ルールは次のようなものです。1つめ。「選手」は「選士」(選ばれた武士の士)と呼ばれ、先発選士同士でのポジション変更は可能だけど、どうしても続行不可能な重傷の怪我以外での選士交代は一切認めない。つまり最後まで戦い抜くために途中交代が禁止されたのです。2つ目。打者が球をよけることは禁止されていました。また、球が当たってもデッドボールとは認められないのです。 2015/08/15 念佛寺の百日紅満開 いずれも戦時下で、戦意高揚を目的とする国家によって設定されたルールだったのです。大会後の球児たちはユニフォームを軍服に着替え、ボールを手榴弾に持ち替えて中国へ、フィリピンへ、予科練へ、海兵団へ、特殊潜航艇の基地へと「兵士」として戦場へ向かったのです。鬼畜米英、敵性スポーツだ、非常時に野球とは、と非難の的になっていきました。審判が判断する用語を日本語化して「プレイボール」は「始め」、「ワンストライク」は「ヨシ一本」、「アウト」は「引け」などに変えながら肩身の狭い思いをして職業野球は行っていたそうです。戦況がいよいよ苦しくなって、野球そのものができなくなってきました。しかし、終戦後、空襲を受けた徳島にも進駐軍がやって来ました。生き残った徳島商のメンバーは、かつての練習場で進駐軍の野球好きと試合をした。徳島大空襲で町を壊滅させた相手。だけれども、両軍、なんのこだわりもない。「野球」だから――。野球がこの地の日本と、かの地のアメリカを結んでくれたのです。戦後、いち早く、アメリカと対等にできたのも野球だったのかもしれません。

(早坂隆著「昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち (文春文庫)」)

野球でも審判がいるように、仏教の世界でも審判がいます。いちばん有名な審判は、閻魔大王です。仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界(めいかい)の主。冥界の王として死者の生前の罪を裁く神です。日本仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されています。閻魔は人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となったといわれています。

2015/08/18 戸島川を挟んで満開の念佛寺の百日紅

先日、「ブルームーン」という一月に2回満月を迎えましたように、月の満ち欠けは28日周期です。その半分が14日、さらにその半分は7日となります。その7は割り切れない数であるということから、古代インドでは7という数字を基準にものごとを考えるようになりました。七進法です。1週間は7日とかラッキーセブンとか、日本でも七福神などと7がよく使われます。このことから「初七日」「ふたののか」と七日ごとに七週に渡って法要が行われ、インドの輪廻思想を背景にして没後の49日目には、この地の次に六道中のどの世界に生まれるかが決まると考えられました。元の生と次の生との中間的な存在の49日間を「中陰」とか「中有」とよびます。中陰の期間中に閻魔大王により生前の罪が裁かれ、罪が重いと地獄に落とされるが、遺族の法要のお経の声が審判官に届けば許されると考えられました。これが中国に伝わり、死者への裁きは一度ではなく、儒教の影響を受けて中陰期間の7日ごとと、百ヶ日、一周忌、三回忌に冥界の十人の王(十王信仰)に審判を受けるようになります。儒教では精神を支える3つの魂と肉体を支える7つの気という三魂七魄(さんこんしちはく。魂魄-こんぱく)と考えるように三と七の数字を重んじ中国仏教が採り入れていくのです。

「七回忌」以降の法要は、日本で独自に付加され、十二支が1巡する事に基づく「十三回忌」と2巡した「二十五回忌」や、三と七を重視した七回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌・三十七回忌・四十三回忌・四十七回忌や、五十回忌(以後50年ごとに百回忌、百五十回忌…と続く)を行うことも始まっていきます。

鎌倉時代に十王とその本地仏との対応関係が作られ、江戸時代になると「七回忌」「十三回忌」「三十三回忌」の新たな三王とその本地三仏が加えられ「十三仏信仰」が生まれ、裁判官の役目を勤めることになっていきます。

このように仏教行事の法要もインド、中国、日本とかの地からこの地へ移ってくるにつれ変化していくわけです。

私たちが生きるこの地(此岸)から、死後の世界としてのかの地(彼岸)へは、浄土宗の教えの経典である無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経によると、南無阿弥陀仏を称えることで阿弥陀佛に極楽浄土に摂りあげていただけるとあります。先祖を供養し、又私たちも極楽浄土で倶会一処できるよう、最後に十念を称えて終わりといたしましょう。

2015/08/18 幸橋から満開の念佛寺の百日紅

如来大慈悲哀愍護念。同唱十念。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

南無阿弥陀佛。南無阿弥陀佛。

参考

1.十三王と十三仏

十三仏 裁判官 読み 審理
不動明王 秦広王 しんこうおう 初七日(7日目・6日後)
釈迦如来 初江王 しょこうおう 二七日(14日目・13日後)
文殊菩薩 宋帝王 そうていおう 三七日(21日目・20日後)
普賢菩薩 五官王 ごかんおう 四七日(28日目・27日後)
地蔵菩薩 閻魔王 えんまおう 五七日(35日目・34日後)
弥勒菩薩 変成王 へんじょうおう 六七日(42日目・41日後)
薬師如来 泰山王 たいざんおう 七七日(49日目・48日後)
観音菩薩 平等王 びょうどうおう 百か日(100日目・99日後)
勢至菩薩 都市王 としおう 一周忌(2年目・1年後)
阿弥陀如来 五道転輪王 ごどうてんりんおう 三回忌(3年目・2年後)
(あしゅく)如来 蓮華王 れんげおう 七回忌(7年目・6年後)
大日如来 祇園王 ぎおんおう 十三回忌(13年目・12年後)
虚空蔵菩薩 法界王 ほうかいおう 三十三回忌(33年目・32年後)


2.三魂七魄(さんこんしちはく)

三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。



3.幻の甲子園

早坂隆著「昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち (文春文庫)については高校野球100年の歴史には刻まれていない幻の夏-早坂隆「昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち」を参考にさせていただきました。