念佛寺施餓鬼会に皆さんようこそお参りくださいました。毎日本当に暑い日が続いています。

皆様方には,先般は,念佛寺の塀・石垣・鐘楼の土台修復工事につきましては,多くのご寄付をいただき真に感謝いたしております。今日はささやかな記念品もお持ち帰り願いたいと思って準備しております。お盆のこの時期にお配りする記念品は,やはりお盆がいいだろうというふうに思います。普通のお盆だと滑ってヒヤッとすることがあります。単なるお盆ではなく,滑らないように加工をしていただいた,香炉盆とさせていただきました。(具体的説明)ごらんのように滑りません。(わっーという歓声,これはテレビショッピングですか)

境内には,猿滑が今年も咲き始めました。猿と言えば新庄村内では,数十匹のサルの軍団が出没し,汗水たらして大事に育てたとうもろこしや,カボチャなどの野菜をいとも簡単にお持ち帰りになってくださいます。私のところも被害にあいましたが,皆さん方のところも被害にあわれている方は多いのではないでしょうか。

この対策として私は妙案を思いつきました。それは,山という山をすべて猿滑の木にしてしまうという案です。ちょっと想像してみてください。すごいですよ。夏になったら,新庄村の7〜8割を占めるすべての山が,赤やピンクや白色の花が咲いた猿滑の木で覆われてしまうのです。そして,野菜を狙いに来たお猿さんたちは,木に登って辺りをうかがおうとします。ところが,登った木が,猿滑なものだから,次々に滑り落ちて,退散してしまう。どうでしょうかね。

やっぱりだめですか。

猿滑という名前は,つるつるした木肌で木登りの上手な猿でさえ滑り落ちてしまうというところから来ているようです。また,猿滑の木は,花期が長く百日にもわたるという意味で百日と紅と書いて百日紅(ひゃくじっこう)とも呼ばれます。

また,同じく漢名で紫と草冠に微笑の微と書いて「紫薇」とも言うそうです。いろいろ名前があるものです。

住職もそうですね。職業欄などの調査では,僧侶という言い方が出ています。住職に声をかけるとき,(曹洞宗では)「方丈さん」,(天台宗では)「和尚(かしょう)さん」,(真言宗・法相宗では)「和尚(わじょう)さん」,(律宗では上と書いて)「和上(わじょう)さん」,(日蓮宗では)「上人」,(真宗系統では)「聖人」など,いろいろありますね。わが浄土宗の場合は,「先生」。いや違いますね。私が学校に勤めているから,あるいは先代も教員でしたし,その時から,「先生」と呼んでくださる方が多かったようですね。私は,法事などのときには,先生ではなく浄土宗や禅宗系統でいわれる「和尚(おしょう)さん」と呼んでいただけるようになりたいと思っているところです。

この「和尚」というのは,梵語のオッジャーの音写で,先生あるいは師匠を意味するそうです。

また音写といえば,阿弥陀の呼び方にしても,アミターバ「無量光」,アミターユス「無量壽」などがあります。「阿」とは「無」のこと,「弥陀」は「量」のことです。無量光とは,無限の空間のこと,無量壽は無限の時間のことを言います。阿弥陀経に「かの仏の光明は,無量にして,十方の国を照らすに障礙するところなし。この故に号して阿弥陀となす。またかの仏の寿命及びその人民は無量無辺阿僧祇劫なり。ゆえに阿弥陀となす。」とあります。阿弥陀仏は,無限の時間と無限の空間の持ち主であるということです。阿弥陀仏はまた阿弥陀如来とも呼ばれます。多くの衆生を救うために仏になると誓われ,私たちを導いてくださっています。

阿弥陀経には,「極楽浄土に衆生,生ずるものは,みなこれアビバッチなり」とあります。この「アビバッチ」は梵語の音写で「不退転」を意味する言葉です。つまり極楽浄土は,決して滑り落ちることのない不退転を得させる場であるのです。

南無阿弥陀佛「私は阿弥陀仏に帰依し信じます」と阿弥陀仏の名を呼んだものを極楽浄土へ導いてくださるという教えにすがりながら,これからも念仏の声を保ち続けていきたいものです。

如来大慈悲哀愍護念。同唱十念。