「暑さ寒さも彼岸まで」と言うように暑い暑いと言っておりました夏もあっという間に過ぎてしまいました。人の心の持ちようというのは、いろいろに変わるものです。そのときにはこのまま時間が止まってくれるとありがたいのにとか、早く時間が過ぎないかなとか、いろいろ考えることがございます。
弁慶草 |
私は、一月ほど前にアキレス腱を切ってしまうという怪我をしてしまいました。新庄の中学校での学年PTA親子レクリエーションで久しぶりにバスケットボールで体を動かそうと思ってに臨みました。それが思いもよらぬ怪我となってしまったわけです。アキレス腱というのは人間の体の中で一番太い腱ということです。切れてしまうと足首の曲げ伸ばしができなくなってしまいます。西のヨーロッパにあるギリシャの神話の中にアキレウスというトロイア戦争で大活躍する英雄が登場します。アキレウスのお父さんはテッサリア地方の王であるペレウス、お母さんは海の女神テティスといいます。親というのはわが子のことを思うのは、洋の東西を問わず同じですね。母テティスはわが子アキレウスを不死身にするために生まれてすぐに冥府のステュクス川につけました。ところが、踵をつかんでつけたためそこだけは生身のままでした。成人してトロイア戦争で大活躍するアキレウスでしたが、トロイアの矢を踵に受けて命を落としてしまったということです。
私は、アキレウスのお母さんを恨みました。彼女が足首なんかを持たずに、例えばわきの下でも抱えてアキレウスを冥府のステュクス川につけておいてくれれば、私もアキレスを切断するなんてことにならなかったのではないかと思うのですが。(苦笑)
お寺でこんな話を聞くなんてアキレウス(呆れます)、なんて思っておられる方もございましょうから、話を変えます。足でも丈夫な足もございます。それは、新庄のほうではお目にかかれませんね。海辺に行くとよく見かける、護岸用のテトラポッドです。テトラはギリシャ語で「四つの」という意味だそうです。これは強いですね。どんなに強い波を受けてもびくともしないんですから。
弁慶草 |
日本でも豪傑の弁慶がいましたが、弁慶の泣き所は向うずねでした。アキレウスとは同じ脚でも裏表の関係ですね。すねは大切にしないといけません。私も親のすねをよくかじってきました。今は子どもにかじられていますが、これも親子なら当然でしょう。親は子どもたちの成長を願いながら最善と思うことを行っているのです。
ことわざに『親孝行と火の用心は灰になる前』とか『親孝行したいときには親はなし』というのがございます。確かに親がいないと親孝行と言えないかもしれませんが、親孝行の意味は『親の心に従いよく仕えること』とあります。ならば、親が自分に託していたことは何であったかを思い起こし、そのように過ごすことも親孝行といえるのではないでしょうか。したがって孝行は親がいなくても行うことができると思います。『親孝行は我がため子孫のため』とか『養生は孝の一端』ということわざもあります。前者は、親に対して孝行することは自分や自分の子孫にまで恩恵がもたらされるということでもあり、後者は、自分の体を大切にすること自体が、親からこの世に生を受けた者の大変な親孝行のひとつであるということでもあります。
今まさにお彼岸。お日様が真西に沈み、阿弥陀仏がおつくりになった西方極楽浄土の世界が夕日とともに観想できると言われています。この私たちの生活する娑婆世界から西方に十万億の仏土を隔てたかなたにあるという浄土にいらっしゃる先祖の方々を思い起こし、これからの自らの生活を見直していきたいものです。まずは、我が足元から見直すと言うことで、『脚下照顧』という言葉を最後にして、この法話の終わりにさせて頂きます。
仏を思い、先祖を思い、そして自分を思いながら、確かに極楽往生を願って十回の念仏をあげて終わりにしましょう。如来大慈悲哀愍護念。同唱十念。