本日はお忙しい中、また毎日暑い日が続く中、ようこそ念佛寺の盆施餓鬼におまいりくださりありがとうございます。法要のあとのお話を7分だけさせていただきたいと思います。

7分にはならないでしょうが、7にまつわるお話が今日のテーマです。みなさん、7と聞いて何を思い出しますか。○○さん、「・・ラッキーセブン」。○○さん、「七福神」。ありがとうございました。いろいろありますね。今高校野球たけなわ。野球ではラッキーセブン。喫煙者はずいぶん少なくなりましたが、マイルドセブンにセブンスター。虹の色、七洋。雑誌の女性セブン。セブンイレブンに、ウルトラセブン、遊ぶならトランプの7並べにセブンブリッジ。映画で007に七人の侍。荒野の七人。北斗七星に、チョットかわいいところで、春の七草、秋の七草、白雪姫の7人の小人。ありがたいもので七福神。

 いつまでも出てきそうですが、そろそろ建て直しが必要ですね。一週間は七曜。最初に暦を意識したのは女性だったということも言われております。女性の月経が28日の周期。これはつきに満ち欠けと同じです。新月から7日で半月になり、さらに7日経つと満月になる。また7日で半月になり28日経つとまた月に見えない新月となる。つきにもとづいた暦を太陰暦といい、日本も明治になるまで使っていました。 人間の歯は親知らずを入れなければ、左右上下対象で4×7=28本。親知らずは一番奥に8番目の歯として出てくるのでそれを入れれば32ということにはなりますが、私の話からすれば7のほうが都合がいいので、ないことにしておきます。

 人間の細胞は60兆もの数があるそうですが、これは地球上の生物の数と同じだそうです。この細胞ですが、私たちが生きている間も生き死にを繰り返していて、その数1秒間に32万にもなるそうです。私たちの体の中にある血管は人体最大の臓器で、長さ10万km、地球2週と半分、血管を開いて広げたら7000平方メートル、83m四方あるいは半径47mの円よりも大きなものになるようです。息を一回スーッと吸って、ハーっと吐く間に、心臓は4回ドキンドキンと打つことがわかります。これは哺乳類ではサイズによらずみんな同じです。寿命を心臓の鼓動時間で割ってみると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回打つという計算になります。ドキンと人間の心臓が打てば12秒とか20秒で体内を一巡するそうです。

 細胞から血液の話になってしまいましたが、細胞は7年間で新陳代謝が一巡するそうです。やっと7が出てまいりました。今何分経過しましたか。まだ7分経っていない。

 佛教のお話をしないと、いけません。お釈迦様はお母さんの右わき腹からお生まれになって、7歩歩んで右手で天を指し左手で地をさして「天上天下唯我独尊」、つまり「人間としての大いなる自覚、大いなる悟りにおいて、われよりまされる聖者なし」「この上ない最尊・最上の道は、誰の前にも平等に開かれている」ことを示された。この7歩歩かれたというのは、象徴的です。7は6より1つ多いということ、つまり迷いの世界を、すでに一歩超えられた人であるということを、その生まれにまでさかのぼり、誕生に託して示しているのです。しかしお母さんは太子誕生から満7日でなくなってしまいます。29歳でお城を抜け出て、出家します。出家後、6年間、精進修行を続けた、35歳で悟りを開きます。そして悟りを開いてから45年間という長い間、伝道布教を続けていくのです。キリストの布教の1〜3年とは比較にならない長さです。

 釈尊は、12月8日の朝、明けの明星が輝くころ、菩提樹の下で、悟りを開かれました。悟りを得られた後も、そのまま7日間座禅を続けられ、さらに場所を変えて7日ずつ7回、すなわち7週間、悟り後の座禅を続けられました。12月8日は成道会が行われます。

私の父母は2人、そのまた父母、つまり祖父母は4人、と数えていき、7代前までさかのぼると128人。12月8日とは関係ないですが、チョット面白いですね。

 七仏とは釈迦が出世する前に出た仏のこと、過去七仏のことです。釈尊以前の六仏、(1)毘婆尸仏(びばしぶつ)、(2)尸棄仏(しきぶつ)、(3)毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、(4)拘留孫仏(くるそんぶつ)、(5)拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、(6)迦葉仏(かしょうぶつ)に、釈迦牟尼仏(釈尊)を加えて七仏という。七仏に共通する偈文(詩のこと)に七仏通戒偈がある。「諸悪莫作、諸(衆)善奉行、自浄其意、是諸佛教(諸の悪をなすことなく、諸の善をなして、心を清くせよ。これが諸仏の教えである)」

 七金山といえば須弥山の周囲にある七つの黄金の山のことを言います。

 浄土三部経に出てくる七はやはり七宝(しちほう、しっぽう)が一番多く出てまいります。無量寿経に14箇所。観無量寿経に18箇所。阿弥陀経に1箇所。合計33箇所です。七宝とは七つの宝。金、銀、瑠璃、頗梨(はり。水晶、ガラス)、車渠(しゃこ。貝のこと)、赤珠(しゃくしゅ。珊瑚)、瑪瑙(めのう)の7つの宝物のこと。極楽浄土はこれらの七宝で荘厳されていると描かれています。

 阿弥陀経の中で「舎利弗よ。もし善男子・善女人ありて、阿弥陀佛を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心不乱なれば、その人、命終の時に臨んで、阿弥陀佛もろもろの聖衆とともに現にその前にましまして、この人命終わる時、心転倒せず。すなわち阿弥陀佛の極楽国土に往生することを得ん。」

 阿弥陀経に「極楽国土には、七重の欄楯、七重の羅網ある七重の行樹あり。みなこれ四宝をもて周匝し囲繞せり・・・・極楽国土には、七宝の池あり・・・このもろもろの鳥、昼夜六時に和雅の音をいだす。その音、五根・五力・七菩提分・八正道分かくのごとき等の法を演暢す。」。

親の光は七光り。七尺去って師の影を踏まず。という言葉もあります。どちらも謙虚に生活することを戒めるための言葉のように思います。

 財力のあるなしにかかわらず、誰でもが誰に対してもできる布施業として「無財の七施」ということが説かれています。これは(1)眼施(がんせ)優しい眼を持って人に接すること。(2)和顔悦色施(わげんえつじきせ)おだやかな笑顔で人に接し、不快な表情を与えないこと。(3)言辞施(ごんじせ)人に柔軟な言葉で接し、粗悪な言葉を与えないこと。(4)身施(しんせ)身体を持って(労力で)人に尽くすこと。(5)心施(しんせ)なごやかな善心でもって人に接すること。思いやりの心で人に接すること。(6)床座施。人のために座布団などの敷物を与えることと、また自分の座席をも人に与えること。(7)房舎施。心地よくもてなすこと。人のために家屋を与えてやること。この中の和顔悦色施、言辞施という和顔と愛語が入っています。まとめて言えば「和顔愛語」に尽きるようにも思います。

 南無阿弥陀仏と漢字で書けば6文字ですが、音にすると「ナムアミダブツ」の7音となります。これからまだまだ暑い日が続きます。自分自身の体が宇宙にも匹敵するものだということを自覚しながら、それでいて体をいたわり、周りにも布施行ができますよう、ナムアミダブツの念仏とともに生活していきましょう。

 何分経過しましたか。17分でしたか。お経の経本の1行は17文字です。以上で終わります。同唱十念