私一人が函座りしてると、トラジはうまくやって来る。
ます足を入れ、私の体を舐めながら、私を油断させ、あっという間に座ってる。
「ことば」カテゴリーアーカイブ
頭垂れもういいかいと稲が待つ #photoikku #jhaiku
空と川茜に染まる雨上がり #photoikku #jhaiku #mysky
一日の笑顔健気なムクゲかな #hana #photoikku #jhaiku
人肌が恋しくもあり猫もまた #cat #photoikku #jhaiku #neko
白兎お月見しつつ母思う #photoikku #jhaiku
猫さえもまだまだきつい処暑の朝 #kigo #photoikku #jhaiku #cat #neko
褪せた色取り戻したい処暑の路 #kigo #photoikku #jhaiku #hana
「ともいき(共生)~地蔵菩薩と山の神の錫杖」の法話をアップしました。
ともいき(共生)~地蔵菩薩と山の神の錫杖 「浄土宗摂取山念佛寺法話」に、16日の施餓鬼会法要で行った法話を載せました。
ナラタケとツチアケビ(土木通)の不思議な関係。植物の中で共に生きようとする姿を、人間世界にも感じました。
今年は百日紅が見事に咲きました。一つの幹から枝分かれし、たくさんの大きな花穂をつけました。福楽商店の根周りの活性化治療のおかげだと思います。幹は一つですが、土の中にはたくさんの根が張り巡らされて、百日紅の木を生かしているのです。ちょうど今の私の前には両親がおり、その両親には又両親(祖父母)がいる。一人の前に2人、sらに4人、さらに8人、16人、32人、・・・・・と増えていきます。これらの先祖の誰ひとりが欠けていても今の自分はこの世に存在しないのです。ご先祖様のすべての命が私の中で生きているのです。そして私の後にも続く命がある。
どうぞ、法話のページをご覧ください。
松風に涼しさそよぐ心なか #hana #flower #jhaiku #photoikku
浄土より散華の如く百日紅 #hana #photoikku #jhaiku
ソーセージ調理したいよツチアケビ #hana #photoikku #jhaiku
サルナシに抗癌作用あるときく #hana #photoikku #jhaiku
お別れする人には花の名前を教えておきなさいって。花は毎年、必ず咲くからっ て。有川浩 #book #dokusyo
有川浩『三匹のおっさん ふたたび』の最後に収められている『好きだよと言えずに初恋は、』の中から。
<<<<<< 「渡し忘れたっていうより、教え損ねた。花の名前。何で教えたかったかっていうと・・・・・」 彼は少し言い淀んでから顔を上げた。 「うちのお母さんが、お別れする人には花の名前を教えておきなさいって。花は毎年、必ず咲くからって」 まっすぐに静かな眼差しを向けられて、心臓が早鐘のように鳴った。 割れそうだ。 ・・・・ (女子高に入ってから) 現国の教科書に、川端康成の『雪国』が一部抜粋で載っていた。 教師はウンチク好きで、筆者の略歴を説明するとき小話をあれこれ付け足した。 その小ネタの中に、川端康成の言葉があった。 別れる男に花の名前を一つ教えておきなさい。花は必ず毎年咲きます。 不意に苦くて甘い思い出が蘇った。 小学校の卒業間際、転校が決まっていた潤子にちっぽけな花の名前をいくつも教えた男の子。 教科書の文字か滲んだ。ページの上でパタパタと水が弾けた。 >>>>>>>
花の名前を教えることで、その花を教えた自分を思い出してもらいたい、思い出させたい、ということだろう。
まさに潤子は思い出した。好きな人だったから一生懸命に教えてくれたんだということに改めて気づいた。
いじめられている生徒がいても、周りを気にせずいじめられている生徒に関わろうとする生徒がいてくれると、いじめもなくなるのだろうに。
気づけば謝るのを憚ることはない。有川浩 #book #dokusyo
有川浩『三匹のおっさん ふたたび』2012/3/30初版。2012/4/15第3刷。文藝春秋
<<<<<<<<<< 「優雅だな、とか俺いらんこと言っちゃって。そっちは土日も働いてるんだもんな。後で貴子に話したら怒られちゃって」 悪気なく大雑把だが、気づけば謝るのを憚ることはない。そういう性格だ。 >>>>>>>>>>
健児の話を聞いて怒る妻貴子、貴子の言葉を素直に聞き、年下の康生に謝る健児、こういう人たちと関係の持てる康生。
みんなで幸せの輪を広げて確かなものにしてる。こうありたいですね。
心ない自分、心にかかるトゲ。有川浩 #book #dokusyo
有川浩『三匹のおっさん ふたたび』の一節。
<<<<<<< 自分もかつてそんなふうに慈しまれていたことが改めて思い返される。 そのたびに幼い日の心ない自分が立ち上がってきて自分を責める。それは、子供だったからと逃げを打つことが許されないような気がする心にかかるトゲだった。 >>>>>>>
自分の子供をあやしてくれている父親の姿から、自分が子供の頃そうだったということを改めて思い起こし、父親に反発したことを、心にかかるトゲと言っているのだろう。子供だからと今は逃げることもできなくなった。
このトゲはどうやったら抜けるのだろうか?抜いたあとしばらくは化膿するのだろうか?
この先が楽しみだ。
私の両親はもういなくなってしまったが、お盆を前にして心のトゲを一つでも抜いていきたいものだ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。