(カウンタ2003/6/5設置)

モモのつれづれなるままに(第2話) 《モモ写真集へ》

《第2話目次》
20.モモの眠りは永遠に (2003.2.20)
19.心地よきところ (2002.5.11)
18.おそろしきもの (2002.5.11)
17.花よりだんご (2002.5.11)
16.丸一年 (2002.2.14)
15. あけましておめでとう
14.散歩
13.待ちわびて
12.花に占領され
11.不審車と満月

20.モモの眠りは永遠に 

(2003.2.20)

2003年2月15日朝、僕が道路で横になっていると,家の中から電話をかけている声が聞こえる。

「もしもし、田中さんですか?大きな鈴をつけている、白っぽい猫は、お宅のモモちゃんじゃないですか?うちの前で死んでいるようなんですが、見に来てもらえますか?」

応対しているかんちゃんのびっくりしたような声と、その横で聞いていたのだろうかゆみちゃんの泣き崩れているような声が受話器越しに聞こえてくる。まもなくかんちゃんが僕の傍にやってきてくれた。そして僕の体に触っている。冷たく固くなった僕の体に。そしてかんちゃんは僕を抱き起こしあっちこっち見ながら、触っている。ゆみちゃんも一足遅れてやってきた。僕の周りには喧嘩のときに落ちた僕の毛が少し散らばっている。ゆみちゃんはそれを見てまた家のほうに引返していった。

箒とちりとりを持って戻ってきたゆみちゃんに、「どっこも怪我しとるようにないんだけどなぁ?」とかんちゃん。「血が流れている様子はないし、おかしいなぁ。」「のどのところが一箇所だけ、毛が固まったようになっているけど、血は流れていないんで。」そんな会話をしながら、僕の周りに散っている毛を掃いたり手で集めたりしている。僕がどうしてこうなったかは二人にはすぐにはわからないだろうなぁ。

僕は新聞紙の上に横にさせられ、かんちゃんに抱かれて家に戻った。冬の間、よくうずくまっていたストーブの前に置かれた。そして僕がパソコンの部屋でよく上がっていたいすにあったタオルケットも敷かれていた。ゆみちゃんは、僕の顔のすぐ傍に顔を近づけて「どうしてこんなことになったん?」と泣き崩れていた。「あんたは、喧嘩が弱いのに、喧嘩するからじゃが。何度も、のどのところを怪我してたが。何でそれでも喧嘩するん。」僕は何もいえなかった。僕だって負けたくはなかったし、まさかこんなことになるとは・・・。

ゆみちゃんは、家から出ている二人の子どもに、電話や携帯メールをしていた。京都に出ている大学生のほうは聞くなり、すぐ帰るといってきたようだ。僕のために京都から飛んで帰ってくれるという。バスの時間があるから、津山までゆみちゃんが迎えに行くようだ。二番目の子はテストがあるということでどうにもならないようだ。《第2話目次へ》 《ホームへ》

19.心地よきところ  

 7月から8月にかけてほんとに暑い日が続いた。どうしたら涼しくなれるのだろうか。僕の小さな頭でいくら考えてもいい知恵がなかなか浮かばなかった。「下手な考え休むに似たり」ということわざのとおりだなと思いついて、その場にドテッと横になった。「ア〜気持ちいい〜〜」。そこは台所の床の上であった。床の上ってちょっとひんやりして気持ちいいもんだと知った。同じところに横になっていると、自分の体温のせいか、だんだんぬくもってくるような気がするので、また少し動いては、反対側を下にして横になる。「ア〜気持ちいい〜」。
 台所の床だけでなく、廊下の床も同様である。あっちこっちを試してみた。台所の次に気持ちよいのは、玄関先のマットの上になるかな。ちょっと厚手のマットなので、毛繕いをするときに足を踏ん張るにも爪が立ちやすく便利だということもある。床の上に直ではないので、そのようなひゃっとした感触はないのだが、ここは風通しが何といってもいい。我が家で一番風通しのよいところではないかなといえる。このマットの上で寝るのもとっても好きだ。寛ちゃんが外から帰ったときにここに寝ていようものなら、一番最初に「モモ、ただいま。」とか「モモちゃん、今帰ったよ。」とか、声をかけてくれるのもうれしい。
 ちょっと変わったところでは、押入れの中というのもなかなかのものだ。かんちゃんなどは「どうしてこんな薄暗くて窮屈なところがいいのかにぁ?」なんて言ってるようだが、猫の僕にとってはよく見えるし、誰にも邪魔されずに好きなだけ眠れるというのは最高である。床などに寝ていると、ゆみちゃんなどは「モモ!モモ!」と用もないのに普段の一オクターブも高い声で僕を起こそうと声をかけてくる。そうかと思うと、かんちゃんなどは自分のお腹と比べるかのように、眠っている僕のお腹のほうをなぜなぜしてくる。こんな邪魔のない押入れもとってもお気に入りの場所である。
 大きく気分を換えて外に出ることもある。外では、花水木の下とか、シランの草むらの中などもとってもいい。花水木の下のほうは、ゆみちゃんがよくがんばって草取りなどをしたら、日陰が少なくなったので、もっぱら、早朝を除いて陽が射さないシランの草むらのほうによく行った。時々そんな僕の隠れ家をゆみちゃんがみつけて「あ〜、モモはまたここにきてる。」と言ってることがある。そんな時は何かとってもうれしそうで、宝くじにでもあたったかのような、JAの広報誌のクロスワードパズルにでもあたったようなうれしそうな声をあげている。花の終わったシランの草むらの中は、早朝しか陽があたらないから、地面もひゃっとしているし、人が通る場所でもないので、邪魔されることがほとんどない。あるといえば、さっきも言ったように気まぐれに僕を探しに来る、ゆみちゃんやかんちゃんぐらいだろう。
 あ、忘れるところだった、もうひとつあった。その邪魔者は、トカゲだ。こちらが退屈しているときは、格好の遊び相手になってくれるのでありがたいが、こちらが眠っているときもチョロチョロ動き回る。今後のこともあると思って、ちょっと手を出さないわけにも行かず、せっかくの眠りを妨害してくれる。(2002/8/31)
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18.おそろしきもの  

 かんちゃんの家にやってきてからもう5年目の、お盆となった。お盆の前から、このお寺の近所にも小さい子どもたちが増えてきた。田舎から外へ出ていて、お盆になって子ども連れで帰ってきたというのだろう。新庄村の人口も、一挙に3倍くらいになっているのかもしれない。おじいちゃんおばあちゃんにとっては、久しぶりのかわいい孫たちということだ。孫たちからすれば、たっぷり甘えるぞという思いもあるのかもしれない。
 新庄はとにかくいい。なにがって? それは朝晩が涼しいのが一番だ。だから都会のほうから帰ってくるんだ。最近、新庄の町の中も寂しくなってきている。小さな店をやっていたところも、「年をとったし、問屋の車もなかなか上がってきてくれないし」と言って、店を閉じてしまうところも出てきた。寂しくなってきている町が、このお盆の間は急ににぎやかになる。あっちこっちで、シュルシュル〜〜バンッ。シュルシュル〜〜バンッバンッ。シュルシュル〜〜バンッ。花火の音だ。子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。時々「危ない」とか「あ〜びっくりした」と言う声も聞こえてくる。
 楽しくにぎやかそうだ。でも僕にとっては、最悪の盆シーズンである。あの花火の音には、親しみがわかない。と言うより、とっても怖い。僕だけなのか、すべてのネコがそうなのか、それはよくわからないが、とにかく僕は恐ろしい。鼓膜が破れてしまうのではないか、心臓が飛び出してしまうのではないか、と不安になってくる。早く家の中に逃げ込もうとおもっても、腰が抜けたような感じになってしまう。家の中にいても、できるだけ音が小さくなる場所にいたいと思って動こうとするのだが、腰を落として歩くようなことになる。ゆみちゃんかんちゃんが「かわいそうに、モモは腰が抜けている。」と言い合いながらも、自分たちは平気なものだから半分は笑い顔が見えてくるような気もする。でも「もっと遠くで花火をやってくれたらいいのにな」とか「もうやめてくれたらモモも安心できるのに」とかいっているから許しておこう。
 人のことを「腰が抜けている」なんて言ってるけど、かんちゃんこそこの前、腰が痛いと言っていすから立ちあがるとき腰がしゃきっと伸びず、曲げた状態でトコトコ歩いていたじゃないか。ぎっくり腰とかなんとかいってたみたいだが。それに比べれば、僕が腰を落としているのは、低い姿勢でどんなところにももぐりこめるようにという作戦の元に行動しているのであって、決して腰が引けているのでも、抜けているのでもない、と言いたいのだが・・・信じてもらえるだろうか。ちょっと無理か。かなりかも。
 いずれにしても、日中は、家にいることが多かった。かんちゃんやゆみちゅんは「あれ、モモは今度はこんなところで寝ている」としょっちゅう言っていた。「モモは、花火の音が怖いんだなぁ」とか「男のくせに度胸がないな」などと笑いながら話している。僕のことを気にかけて「ええ加減に花火をやめてくれたらよいのにぁ、モモ」などと同意を求めてくれることもある。
 でもかんちゃん、「男のくせに」なんて言うことはよくないんだよ。今は人間の社会でも男女共同参画社会なんて言ってるんじゃないの。男でも怖いものはあるし、女でも平気だったりする。それは男女に関係がない。ネコそれぞれの性質、性格、体格、生まれ育った環境などの違いによって生じてるんじゃないかな。ネコの個性なんだよ。これがモモという猫なんだよ。
 僕は、とにかく大きな音は嫌いなんだ。だから夕方お寺の鐘が「ゴォ〜ン、ゴォ〜ン」と鳴り出すと僕は一目散に家の中に飛び込んでいる。子どもたちが打ち上げる花火の音も嫌いだ。最悪は、ゆみちゃんやかんちゃんが「今年の花火はよかった」といっていた、14日の盆踊りの晩にたくさん打ち上げられた花火大会だった。あんな大きな音、あんな大きな光の玉、空気までがゆれ、新庄の町を挟む山々までもが震えるようなものはとても耐えられない。僕は家の中でじ〜っとしていた。そのときはかんちゃんの部屋の「20世紀梨」のダンボール箱の中にいた。狭いけど、とっても落ち着く場所である。この夏は、由美ちゃんに入れてもらったこともあるけど、自分から入って眠ったことも多い。かんちゃんのこの狭い部屋には、パソコンがあったり、机があったり、たくさんの本があったり、その上、僕のためにこの鳥取の「20世紀梨」のダンボールまで置いてくれている。(2002/8/30)
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17.花よりだんご  

 かんちゃん先生も,本当に熱中しだすと止まらなくなるみたい。この前,ホームページのカウンタが1万を超えたといって,家族のものみんなに言いふらしていた。
 おかげで,僕の出番がなかなか作れなかった。花は僕にはどうでもいい。それより,やはりあれだね。
 さあ,いよいよ始まりです。すばらしいキックから始まりました。お〜っと,ドリブルをしながら,ハイボレーキック。さらにドリブルが続いています。モモのキック力もすばらしいものです。Canchanチームに新たに入ったモモは,やはり貴重な存在です。みんなの注目を集めています。あ〜っ,惜しい。ゴール間近で,場外に出てしまいました。
 モモも,自分が,がんばらなければいけないと気負っているのでしょうか?ボールがやっと場内に入れられました。モモ,さらにドリブルをしています。左右の足で見事ですね。時々,足がすべるのか,自分の体のほうがボールより先に行っています。このボールもちょっと普通と違っていますね。遠くから見ると,丸いようですが,見る位置によると,四角にも見えています。だから,転がりようが一定していないのでしょうか。時々,モモのスパイクに突き刺さっているようでもあります。アップで写されたときに,チラッと見えたのですが,このボールには,穴が開いているようです。丸い穴です。
 一体,こんなことがあってよいのでしょうか。始めてみました。サッカーファンの皆さんも初めてでしょう。弾力は非常にいいようなのですが。
 あ〜なんということでしょう。さっきまで,盛んにドリブルや,ハイキックをしていたモモが,キックをやめて,ボールを,両足ではさんでいます。口を近づけています。アップで見てみましょう。お〜っ。なんということでしょう。サッカーボールかと思われていたものは,ちくわのようであります。モモがちくわでサッカーをしていたのです。やはりちくわは,キックするより,食べるほうが好きなようであります。《2002.5.11》《第2話目次へ》 《ホームへ》

16.丸一年  

 早いもので、かんちゃん先生がホームページを作ってから、1年経った。途中から、僕が「モモのつれづれなるままに」を書き始めた。僕のほうは、元来が気ままに暮らすたちだから、パソコンがあいていて、さらに僕にやる気があるときにしか書くことをしない。それでいいと思っている。
 ところが、僕の先生のほうは、せっかく作ったのだからと、いろいろとページを増やしている。「そんなにやらなくてもいいのに」と思ってやるのだが、先生のほうは少しも僕の思いをわかってくれない。ゆみちゃんも、「ほんとにパソコンの前ばっかり座って!」と怒りとも諦めともつかない声をあげている。
 先生の方は,いろんな人の助けや、教えを受けながら悪戦苦闘している。最初のテーマからすると内容的にはかなり変わってきている。そんなことも、この人には大して関係ないようだ。ずっと以前に花の写真を写していたこともあるようだが、フィルム代、プリント代などで途中切れになったらしい。それが、パソコンやデジカメというものを手にして、楽しみをまた感じ始めたようだ。
 かんちゃんがなかなかパソコンのそばを離れないから、僕はなかなか書けずに、日にちが経ってしまう。いつもは、かんちゃんがパソコンをやっているときに、そばにあるいすに上がって「早く終わってくれないかな?」と思いながら、座っていると、ストーブの暖かさもあって、ついつい眠ってしまう。そんな僕だが,今日はここまで書けた。次は何を書こうかな?(2002.2.14) 《第2話目次へ》 《ホームへ》 《やすらぎ掲示板へ》
 

15.あけましておめでとう 

 皆さん,あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとありがとうございました。

 振り返ってみれば,かんちゃん先生のパソコンで遊ぶことを覚え,『モモのつれづれなるままに』を書き始めた。この家の子供たちも次第に大きくなり,一人は,京都の方の大学にいってしまった。めったに帰らないので,寂しくなったら見てもらえるかもしれない,僕のことを思い出してくれるかもしれないという思いもあった。
 それから次に『モモの瞳に映ったもの』と題して,花や風景の写真を載せ始めた。これには,かんちゃんも大いに協力してくれ,いろいろな花などの写真を遠くからも写してきてくれたので,助かっている。僕がまだ見たこともないような花や,実や,木などもたくさんあった。
 わからない花や実があっても,かんちゃんを暖かく支えてくれる多くの人たちがいる。この人たちが名前を教えてくれるのだ。こんなうれしいことはない。
 そんな花の中で,『ナズナ』という花がある。小さな花は,優しく微笑みかけてくれる,かわいいものだが,その後にできる実がまた面白い。三味線の撥のような形である。それが四方八方に伸びている。いろんな方向を見ている。たくさんの人と握手しているようでもあり,情報を集めるアンテナのようでもあり,情報を発信するアンテナのようでもある。僕も昼寝ばかりせずに,いろいろな情報を集め,発信できるようになりたいものだ。 《2002.1.1》  《第2話目次へ》 《ホームへ》

14.散歩 

このごろ,かんちゃんは暇さえあれば,ちょっと歩いたかと思うと立ち止まり,うずくまっている。どこか具合でも悪いのかなと近づいてみると,デジカメでなにやら写しているようだ。僕がそばまで行っても知らん顔をしている。あまりに腹が立つから,かんちゃんの足に食らいついていった。やっとかんちゃんも,僕の存在に気づいてくれたのか,「何で,かむんだ!」と叫んでいた。僕が寂しい気持ちでいることなんかちっともわかってくれない。

 後で,パソコンに写真を映し出してくれはするけど,部屋はストーブで暖かいし,僕は椅子の上で見ていたら,すぐ眠くなってしまう。

かんちゃんは面白がってそんな写真までも写してしまうらしい。人の寝顔なんか写して何が楽しいんだ!楽しい夢を見ているのに。でも,花とか,実とか,いろいろと僕の知らないものまでも見せてもらえるから楽しい。中には食べてしまいたいような実もたくさんある。赤いのやら,青いのやら。黒いのやら。 《2001.12.12》  《第2話目次へ》 《ホームへ》

13.待ちわびて 

 車のライトもまぶしく,かんちゃんが帰ってきた。最近は早く日が暮れ始め,ライトをつけて帰ってくることがほとんど。「やっと帰ってきたか」と背伸びをひとつして,車に近づく。「おっと,バックしてくるぞ。」でも車が変わってからは,かんちゃんも少しゆとりがあるのか,後ろにいるときは,私のいる位置がわかっているような車の動きだ。

 駐車が完了すると,降りてきて,「モモちゃんただいま」って言ってくれ,僕をなでてくれる。うれしくなってごろんとなってお腹を出していると,お腹をなでてくれる。僕もうれしいから,かんちゃんの手を両手で持とうとすると,つめが当たるのか,あわてて手を引っ込め「どうして爪を出すの!」って,いそいそと荷物を下ろし車庫から階段を上がりかける。僕は余韻に浸ってなおもごろごろしていると,「モモ,上がるで。おいで!」と言うので,戸を閉められちゃ大変と後を追っかける。階段では,かんちゃんを追い抜くことが常だ。「帰りました」と家族に挨拶するなり,部屋に荷物を置き,着替えに2階に上がるかんちゃんの後をついて上がり,ここでも追い抜いてしまう。僕の方が足は短いけど早い。部屋で着替えをしているかんちゃんの足元で,頭や,体を摺り寄せていると,「もうちょっと待って」と言うけど,お構いなし。どうもズボンに僕の毛がつくことを嫌がっている様子だ。「チカラシバでもあるまいに,僕の毛なんて痛くも痒くもないんだぞ。」ズボンを履き替えたかんちゃんは,横着なのか,まだ上着を着替えているからか,足で僕の体をなでてくれる。うれしくなってごろんとなると,お腹の方を足でぐるぐるなでてくれる。これがまた気持ちいい。たまらなくなってつい手を出すと「また爪を立てる!」と怒ったような声を出し部屋から出て行くから,また後についていく。人の後をついていくと,自分で一生懸命になって戸をあけなくてもいいから楽チンだ。

 最近寒くなったからか,僕が閉めてある戸を必至の思いで開けて出入りすると,「モモ!開けたら,後,ちゃんと閉めんと!」とみんなが言う。でも僕は寒くないもんね。《2001.11.17》  《第2話目次へ》 《ホームへ》

12.花に占領され

 かんちゃんって,こんなに花に関心があったのかな?おかげで,かんちゃんがパソコンの前から離れないので,僕モモとしても,なかなかこのページの更新ができずにいた。やっと,今書けるようになった。

 昨日かんちゃんは,アメリカで生活している最初の赴任校の教え子のMOさんからメールが届き,とってもうれしくしていた。それも最近毎日更新している花の写真を見て感激したと言うようなことがかいてあったからだ。ゆみちゃんにも早速そのことを話していたようだ。最もゆみちゃんの方は,かんちゃんが毎日のようにパソコンをつついているので,心配しているようだが,かんちゃんも好きなことにはすぐ熱中するようだ。困った人だ。

 おかげで,僕は,なかなか「つれづれなるままに」が書けないでいた。僕も花の写真を覗いてみたけど,いろんな花の名前があるねぇ。僕が時々むしゃむしゃ食べている草にもきっと名前があるんだろうね。また今度,かんちゃんに尋ねてみようかな?かんちゃんもわからなければ,「なずな」さんという人が教えてくれるみたいだ。「なずな」さんがいたから,かんちゃんもここまで花の写真を掲載することができたんだろう。「なずな」さん,ありがとうね。これからもかんちゃんのこと,よろしくフォローしてあげてね。僕モモからもお願いしますニャン。(2001.11.8)   《第2話目次へ》 《ホームへ》

11.不審車と満月

 夕方,車庫の入り口のところで,何も考えることなく,ボーとしながらうずくまっていた。すると,1台の車が車庫を少し過ぎたところで止まった。このあたりでは見かけない車だ。いったい誰だろうと不審に思って警戒していた。するとドアが開いたかと思うと,私の方に一人の大柄な人が走り寄ってきた。大柄といっても,ちょうどかんちゃんのような体格である。しかし車は形といい,色といい,まったくかんちゃんの車とは違う。

 わが身の危険を感じた。こういう時,猫は敏感なのだ。いやこういう時だけでなく,いつも敏感といっておこう。私があまりにもかわいいと感じたのか,はたまた,私を三味線にしようと思ったのか,とにかく私は怖かった。あまりの勢いで私の元に走りよってくるので,何かその人は叫んでいたようだが,そんなことは理解できなかった。身の安全を守るため,私はとっさに後ろに5,6歩走って下がった。

 下がって,なおもよく見ると,かんちゃん先生ではないか。いったいどうしたんだ。何で車が違うんだ。よくわからない。かんちゃんは,私の元に来て,優しく両手を差し伸べて「モモちゃん,ただいま。」と言った。そういえば,かんちゃんは,いつも車庫にバックで入れているし,私がいれば,大体すぐに私を抱いてくれて,家の中に入れてくれる。どうも,私がいると邪魔なのかもしれない。猫の私がそう簡単に車なんぞにひかれることはないのに。時々道路にひかれた猫を見かけることもあるけど,それは車のスピードが速いにもかかわらず,道路を横切ろうとしたからだろう。狸ほどは多くないはずだ。でも私も注意しないといけない。時々,危ないと思うことがあるから。

  話が脱線してしまったかな。とにかくかんちゃんに抱かれて台所のほうに入れられた。かんちゃんはゆみちゃんに「ただいま。新車で帰ったで。」と言っていた。そうか,またかんちゃんの悪い病気で新しいのを買ったんだな。

 夕食のとき,テーブルの下でうずくまって聞いていたら,どうもトヨタという会社のイブリッド・エスティマという車らしい。今まで,ディーゼル車のノアで,子供たちに,「ディーゼル車なんかに乗って,いまどきひどい。環境を汚すだけだが。」とよく言われていた。かんちゃんは返す言葉もなくて「プリウスがいいと思っていたけど,4WDがないんだもん。」とやっと言っていたのを思い出す。

 でも,今日のかんちゃんは元気だ。ゆみちゃんに「乗り心地はどう?」と尋ねられて,「すっごくいい。」と答えていた。「かんちゃんはええね。買いたいものがいっぱいあって。」とちょっと皮肉っぽくやり返されていた。でもかんちゃんはまったく気づかぬ様子だ。

 夕食後,二人は,部屋の電気を消して,横になって外を眺めていた。「ちょっと寒いけど,いい満月だなぁ。」「2日前が十五夜だったみたいよ。」「昨日もきれいに見えたもんな。」などといいながら,まん丸なお月さんを眺めていた。2人の邪魔をしては悪いかなと思って,私は外に出て,うずくまって,月を眺めた。「よっちゃん,見てごらん。きれいな月でぇ。」「ウサギさんが,もちをついてるで。」「えっ,どうしてウサギなん?」「それはな,・・・」とかんちゃんが講釈をたれ始めたが,私の耳には届かなくなった。「えっ,あそこにウサギがいるのか?」と思ったら,よだれが出そうになった。「どうしたらウサギが取れるんだろう?」

 かんちゃんは,まあ〜るい車に乗り出すし,かんちゃんの顔もま〜るくなってるし,このお月さんもま〜るい。私の体もいよいよま〜るくなってきそうだ。(2001.10.3)  《第2話目次へ》 《ホームへ》

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