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法然上人略年表〜現代のカレンダーでたどる

浄土宗を開いた法然上人の歩みを、現代のカレンダーに置き換えて表示したらどうなるのだろうかと、以前から考えていた。旧暦と西暦で月日の雰囲気がずいぶん変わってしまうことに気づいたからだ。そこで「高僧伝 法然〜ひとすじの道」(藤井正雄著、集英社発行)の略年表と本文を参考にしながら、年表を作り、年号と月日の明らかなものを「旧暦ー西暦の相互変換」を利用して、旧暦の年月日を西暦の表示に直してみた。

年号 月日 西暦年月日 法然の年齢 法然の事跡 一般事項
長承2 4月7日 西暦1133年5月20日 美作(みまさか)国の久米南(くめなん)条の稲岡庄に誕生。幼名を勢至丸。父は漆間(うるま)時国、母は秦氏。
永治元 春、父時国が明石定明の夜襲にあって負傷し、死去する。この冬、勢至丸は奈義山の菩提寺の観覚の弟子となる。
久安元 13 春、法然は叔父の観学の紹介状をもって、比叡山に登り、西塔北谷の持法房源光に師事する。(一説、久安3年)
久安3 4月8日 西暦1147年5月16日 15 東塔西谷の当時碩学と名高い皇円(功徳院の肥後の阿闍梨)の室に入る。
久安3年 11月8日 西暦年月日 15 東塔の大乗戒壇院で剃髪受戒して、正式に天台宗の僧侶となる。このときに皇円から源空の名を授けられたと考えられる。竜樹の「菩提心論」(唐・不空訳・全一巻)の「心の寂なり」の一文からとって「源空」と命名したと考えられるようです。
久安4年 16歳 春より、法然は天台三大部を読み始め、3年で読み終わる。
久安6年 9月 西暦1150年 18歳 法然は西塔黒谷の叡空を訪ね、法然房源空の名をもらう。 9月延暦寺衆徒の争闘を禁ずる
保元元年 月日 西暦1156年 24歳 法然は嵯峨清涼寺に7日間参籠、ついでに南都の諸宗の学匠を歴訪する。のち再び黒谷に戻る。 7月保元の乱起こる。
保元2年 月日 西暦1157年 25歳 信空が叡空の室に入り、法然と法兄弟となる。
平治元年 月日 西暦1159年 27歳 12月、平治の乱が起こる
安元元年 西暦1175年 43歳 春、法然は専修念仏に帰入する。(浄土開宗)
この年、黒谷を出て西山広谷に遊蓮房円照を訪ねる。
治承元年 月日 西暦1177年 45歳 このころより、法然は東山吉水に住する。
治承4年 月日 西暦1180年 48歳 12月、東大寺・興福寺が平重衡の軍勢に焼き討ちされる。
養和元年 月日 西暦1181年 49歳 法然は、東大寺大勧進職を辞退し、重源を推挙する。 閏2月、平清盛没。64歳。
寿永2年 7月28日 西暦1183年8月24日 51歳 法然は、木曽義仲軍が京都に乱入の日、一日聖教を見ず。
元暦元年 2月7日 西暦1184年3月27日 52歳 法然は、平重衡に説戒する
文治元年 月日 53歳 3月24日(西暦1185年5月2日)平家壇ノ浦に滅びる。
文治2年 西暦1186年 54歳 大原談義が行われる。(一説、文治5年)
文治5年 8月8日 西暦1189年9月26日 57歳 法然は九条兼実に授戒する
建久元年 2月 西暦1190年 58歳 法然は、重源の要請により東大寺で浄土三部経を講ずる。 2月16日(西暦1190年3月30日)西行が逝去する
建久元年 7月23日 西暦1190年9月1日 58歳 法然は九条兼実に授戒する。この年、証空入門する。
建久2年 3月13日 西暦1191年4月15日 59歳 法然は重源の十問に答える。
建久2年 7月28日 西暦1191年8月26日 59歳 法然は九条兼実に授戒する。 7月、栄西、宋より帰朝し臨済宗を広める。
建久2年 8月21日 西暦1191年9月18日 59歳 法然は九条兼実に授戒する。
建久2年 9月29日 西暦1191年10月26日 59歳 法然は中宮任子(宜秋門院)に授戒する。
建久2年 10月6日 西暦1191年11月1日 59歳 法然は九条兼実に授戒する。
建久3年 8月8日 西暦1192年9月23日 60歳 法然は九条兼実に授戒する。 7月源頼朝、鎌倉幕府を開く。この年、慈円、天台座主となる。
建久5年 月日 西暦1194年 62歳 法然は、このころ中原師秀の求めに応じて逆修を営む。
建久6年 7月13日 西暦1195年8月26日 63歳 法然は宜秋門院に授戒する。この年、源智、明遍、入門する。 3月、東大寺大仏殿再建供養が行われる。
建久8年 3月20日 西暦1197年4月16日 65歳 法然は九条兼実に授戒する。この年、弁長が入門する。
建久9年 1月1日 西暦1198年2月15日 66歳 法然は同日より、37日間、毎日7万遍の念仏を行う。
建久9年 西暦1198年 66歳 法然は「選択本願念仏集」を撰述する。 栄西、「興禅護国論」を著す。
建久9年 4月 西暦1198年 66歳 法然は「没後遺誡文」を著す
建久9年 5月 西暦1198年 66歳 法然は「夢感聖様記」を著す。この年、幸西入門する。
正治元年 2月 西暦1199年 67歳 法然は弁長に「選択本願念仏集」を授ける。
正治2年 5月12日 西暦 1200年 7月 2日 68歳 鎌倉幕府は、法然上人の専修念仏を禁止する。 1月2日(西暦 1200年 1月 26日)道元、誕生。
正治2年 9月30日 西暦 1200年 11月 16日 68歳 兼実の妻(北政所)、病気により法然を招き、数日間、受戒する。
建仁元年 西暦1201年 69歳 法然のところに親鸞が入門する。
建仁元年 10月17日 西暦 1201年 11月 21日 69歳 宜秋門院、法然を戒師として出家する。 8月、鎌倉及び諸国に大風雨が起こる。
建仁2年 2月27日 西暦 1202年 3月 29日 70歳 九条兼実、法然を戒師として出家する。この年、長西入門する。 6月、栄西、建仁寺を建立する。
元久元年 2月17日 西暦 1204年 3月 27日 72歳 法然は、伊豆山源延のために「浄土宗略要文」を書く。
元久元年 3月14日 西暦 1204年 4月 22日 72歳 法然は、隆寛に「選択本願念仏集」を授ける。
元久元年 10月 西暦1204年 72歳 延暦寺衆徒、法然の専修念仏停止を天台座主に真性に訴える。 8月、弁長、九州に浄土宗を広める。
元久元年 11月7日 西暦 1204年 12月 6日 72歳 法然は「七箇条制誡」をつくり、門弟を戒める。
元久2年 1月 西暦1205年 73歳 法然は霊山寺で別時念仏を行う。
元久2年 4月14日 西暦 1205年 5月 11日 73歳 法然は親鸞に「選択本願念仏集」を授ける。
元久2年 8月 西暦1205年 73歳 法然は熱病にかかって、臥せる。
元久2年 10月 西暦1205年 73歳 興福寺衆徒、九箇条を挙げて法然の念仏禁止を院に訴える。(興福寺奏状)
建永元年 2月 西暦1206年 74歳 行空・安楽房、配流される。法然は行空を破門する。
同月、興福寺の五師三綱、念仏宗の宣下について摂政良経に強訴する。
3月7日(西暦 1206年 4月 23日)摂政良経没。
6月4日(西暦 1206年 7月 18日)重源滅(86歳)。
承元元年 2月9日 西暦 1207年 3月 16日 75歳 住蓮房・安楽房、六条河原で死刑となる。 2月13日(西暦 1207年 3月 20日)親鸞、越後に配流となる。
承元元年 2月18日 西暦 1207年 3月 25日 75歳 法然は京都を出発。摂津の経ヶ島、播磨の高砂、室の泊を経ていく。
承元元年 3月26日 西暦 1207年 5月 1日 75歳 法然は讃岐国塩飽島の地頭高階保遠の館に入る。のち小松庄の生福寺に入る。 4月5日(西暦 1207年 5月 10日)九条兼実没(59歳)。
承元元年 12月8日 西暦 1208年 1月 4日 76歳 法然は勅免により摂津国勝尾寺に入る。
承元3年 西暦1209年 77歳 幸西ら、北陸に一年義を広める。
建暦元年 11月17日 西暦 1211年 12月 30日 79歳 法然は勅免により入洛を許される。 1月、栄西、「喫茶養生記」を著す。
4月、俊?(しゅんじょう)、宋より帰朝。
建暦2年 1月2日 西暦 1212年 2月 13日 80歳 法然は老衰がひどくなる。
建暦2年 1月23日 西暦1212年3月5日 80歳 法然は重態におちいる。源智の求めに応じて「一枚起請文」を書く。
建暦2年 1月25日 西暦1212年3月7日 80歳 法然、入滅。春、門弟ら、法然の中陰の法事を行う。 11月、明恵、「摧邪輪」を著し、「選択本願念仏集」を批判する。
安貞元年 6月22日 西暦 1227年 8月 12日 延暦寺衆徒、法然の墳墓を破却する。信空ら、遺骸を二尊院に隠す。 この年、道元、宋より帰朝。曹洞宗を広める。
安貞元年 7月6日 西暦 1227年 8月 26日 延暦寺の訴えにより、隆寛・空阿・幸西、配流となり、ついで専修念仏禁止される。