江戸時代の享保11年から12年にかけて起こった山中一揆は処刑されたものが全国でも類を見ないほどの51名にものぼりました。その最初の処刑地になったのが新庄村の今井河原です。この一周忌に当たる翌年の享保13年に建てられた六十六部日本廻国碑とその近くの廻国碑についてまとめてみました。新庄村の廻国碑やその他の山中一揆関係史跡の位置については
山中一揆で五十一名もの百姓たちが処刑されて一周忌に当たる享保十三年に建てられている「六十六部日本廻国碑」です。この石造物には新庄村教育委員会の「六十六部廻国碑」と記された表示木が建てられています。