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山中一揆・大森義民父子の祠



史跡 蒜山文化財 義民父子の墓

津山藩の苛酷な圧制に耐えかねて享保11年(西暦1726)11月から翌12年正月にかけての山中騒動は今に伝わる大百姓一揆として全国的に有名である。当所大森出身の七左衛門と喜平治の父子は、首謀者・牧の徳右衛門、見尾の弥次郎、日名田の半六、土居の忠左衛門、等と共に一揆の六頭と言われた。父の七左衛門は奥山中の総司令格、16歳の喜平治は総大将徳右衛門の幕僚として活躍したが、捕らえられ、享保12年12月院庄(津山市)の河原で共に打ち首獄門の刑に処せられた。その後、家系絶えその霊は生家の藏富家屋敷の一角に祭られていたが、昭和33年8月川上村は郷土住民大衆の救済に身を捧げた義民として父子を永久に顕彰すべく史跡として指定。当大森部落も祠を此処に移し永く供養を続けることとした。(説明板記述による)