「目に青葉、山ほととぎす、初がつお」という俳句があります。この5月には青葉、ホトトギス、かつおの良い時期だということをうたった俳句なのでしょう。調べてみると今から300年ほど前の人、享保年間(1716年没)の山口素堂とうい人の作だそうです。

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また俳句は正しくは「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」だそうです。青葉、ホトトギス、かつおと3つも季語が入っているというかわった俳句のようです。

青葉も葉の落ちた枝にしだいに芽吹いてくるし、色の変化があるから感動を呼ぶのでしょう。これが1年中緑だとしたら、このような俳句にもならなかったでしょうね。

眼で見る視覚についで、聴覚。耳で聞くものとして、春の鶯から変わって目立ってくるのがホトトギス。この鳴き声は「東京特許許可局」などと聞こえる人もあるようですが、ゆっくりでも言いにくいですね。舌が回らない。それより言いやすいのが、いや言いやすいのですが、あまり言われたくないと思うのは私だけかもしれませんが、・・・こう鳴きます。「てっぺん、かけたか。てっぺん、かけたか」って。「どうも「頭のてっぺん、はげたか?」なんて言われているようで、この鳥の鳴き声は嫌いだ」とはっきりおっしゃった、私の知り合いの方もありました。

初鰹、おいしいんでしょうね。これは味覚ですね。かつおの好きな方はこの句を少しもじって「ネギ大葉、山ほど盛って、初鰹」なんて詠む方もいらっしゃるとか。旬の良さとともに食べ方の良さも示しているのでしょうね。

食べ方といえば、高野豆腐や焼麩。このまま食べても味もそっけもない。もっともそれだけを食べてみようとしたこともございませんが。そのままで喜んで食べるのは鯉でしょうか。鯉池の中に投げると一斉にバシャバシャと群がってやってまいります。われわれはそのままはあまりいただきません。その麩も料理の中で使うと、とても美味しく頂ける。麩の中においしい味がしみ込んで、とても美味しいですね。最近「明日のもと〜」などと宣伝している「味の素」。私が子どものころは漬物を食べる時も、味の素を振って、醤油をかけて食べていたことを思い出します。それが健康によくないのでは、ということだったのでしょうか、使わなくなってしまいました。いま調味料もたくさんあります。その調味料を、それだけで舐めてもあまりおいしいとは思いませんね。でも料理の中に入っていくと何とも言えない味を出してくれる。高野豆腐や焼麩も料理に入ってこそ、その価値があるというものです。それだけでは味わえないものを持っているのです。

仏の教えもこの味に似ているのではないでしょうか。その教えが人の中に入ってこそ、何とも言えない味を出してくれる。仏の真の価値があらわれてくるのでしょう。メキシコから始まった豚インフルエンザ。新型インフルエンザがものすごい勢いで広がっている。人から人へと。パンデミックといわれるような爆発的な広がりにならなければよいがと、気にかかりますが、仏の教えはどんどん人から人へと広まって、すべての人が慈悲の心をもって人々と接することができればまことに、ありがたいものですね。こんなことを平成21年の5月に思いながら、最後に皆さんとともにもう十辺の南無阿弥陀仏の念仏を称えましょう。まずは身体で手と手を合わせ、口で南無阿弥陀仏と唱え、耳の聴覚で「南無阿弥陀仏」と聴き、心に阿弥陀仏を想い極楽浄土を願いながら称えて本日の法要を終わりにいたしたいと思います。それでは合掌しご唱和ください。十念。